第二章

1.「せん妄」との闘い

■2021年10月21日

「呼び戻してあげて!」

看護師は初めて、私に対して語気を強めた。私は震える声で「三途の川だから行っちゃダメ」と耳元で繰り返し伝えた。その声は徐々に大きくなり、最後は「川の子供よ! 消えてしまえ!」と叫んだ。

この闘いは深夜から朝方まで続いた。妻は背中に痛みが走った様子で、言葉にならない声を発した後、昏睡状態に陥った。

妻は自宅2階のタンスの上に遺書を残していた。嫁姑問題の責任を感じ、更に通夜を欠席して周囲からいじめられるかもしれないと思い恐怖に陥った。大切な実母や愛犬を失い、私とは1年間会話がなく、息子たちは独立。

自身の存在意義を失ったと遺書には記載があった。しかし、一命は取り留めた。何とか復活してほしいと願うのみだった。

■2021年10月22日

妻はリカバリー室での初日の峠を何とか越えた。看護師にお願いして入院に必要な物を取りに早朝から家に走った。私はパニック状態。家に着いたが何をどうすればよいのか判断できない。手当たり次第に袋に詰めた。看護師と約束した通り即座に病院へ戻った。

リカバリー室から5125室に移動した。ここが我々夫婦の新居。コインランドリーの使用方法について看護師から説明を受けた。その瞬間、妻は長い眠りから覚めた。

か細い声で「洗濯物を回収し忘れたらだめよ」と一言だけ発した。涙が溢れた。蘇生して初めての会話は私の洗濯物の心配だった。嬉しくて、嬉しくて。

「戻ってきてくれてありがとう。俺を置いて逝くな……」

そう返すのが精一杯だった。自宅から持ってきたタオルは私の涙で重くなった。

(読者の皆様へ。連日ご多忙の中で、この著書を読んで頂き感謝しています。私自身が精神崩壊しないように努めてこられたのは、いつか誰かに読んで頂けるはずと記録し続けたからです。今まさに苦しい心を聞いて頂けることに感謝しています。ありがとうございます。)

2  精神科

精神科の〇〇医師は嫌いだ。妻の自殺未遂の根源は夫である私のDVと感じた様子。様々な質問を問診室で投げ掛けられた。ある意味当然かもしれない。妻にも病室で自殺の経緯を探る質問をしていた。この質問にはICUにいる際に全ての医師に私が説明した。