第一章

2.ICU

■2021年10月20日

午前6時頃、散歩中の老夫婦が変わり果てた妻を発見して下さった。警察と救急隊が現場に急行して救急病院へ搬送した。

周囲には朝陽に輝く秋桜が静かにゆれていた。

 

私の携帯に警察から連絡が入った。救急治療のICU受付に走り面会を求めたが、当人が自分の名前ではなく別名を名乗ったため、関係性不一致として面会は不許可。「妻が口にしたのは義理の姉の名前。記憶障害です」と私は説明したが、治療室に入れてもらえない。客観的に分かっていても、個人情報保護法の壁は厚い。当人の所持品を見せてもらうと、犬のストラップがあった。

私は嗚咽しながら泣き崩れ「そ、そ、それは……愛犬にそっくりなストラップ。10年以上前に妻に買ってあげたもの。今も大切に使ってくれていたのか……」と人目もはばからず廊下で嗚咽した。救急治療の看護師は真実を察し、大声で「ご主人が到着しました」と叫んだ。厚い鉄の扉が開いた瞬間だった。

そこはまるで野戦病院。妻には生命を維持するための多くの管がつながれていた。各装置からは限界点超過を告げるけたたましい警報音が鳴り響いていた。変わり果てた妻がベッドに横たわっている。脳外科の医師と看護師数人が妻を囲み格闘していた。

「まずは頭蓋骨を縫合しないとまずい。流出する脳液を止めるぞ!」

医師の怒号が、広い緊急治療室に緊張感を与えた。全科の医師と看護師が入り乱れ、頭から足先まで緊急対応が行われていた。複数の医師から早口で説明を受けた。

「大変まずい状態。今日はこれで引き取ってほしい」

この説明だけが私には理解できた。

「神様、妻を助けて下さい」

何度も口にして祈った。止まらない涙を繰り返し拭き、自分の心音だけ感じながら朝を迎えた。

翌朝、強力な麻酔で昏睡状態の妻に会った。凝固した血で髪は真っ赤に固まっていた。「なんで逝こうとする……俺を置いて逝くな……」と泣き崩れた。2人の息子も、「お母さん」と泣き崩れた。