3.原因

妻が精神を病んだ原因は夫である私だ。勤務先である銀行を円満卒業。その後、某自動車部品メーカーへ転職したが仕事オンリーの人生。家庭を顧みなかった。

妻は長野県の出身。義母は女手一つで妻を育ててくれた。妻は義母と高校まで一緒に暮らし、短大時代に私と知り合うと、愛知で暮らすことを夢見てくれた。そして、平成6年2月26日に結婚。翌年6月には長男が誕生。平成10年7月には次男が生まれ、妻は懸命に2人の息子を育て上げてくれた。

私が単身赴任で不在の期間も不平を漏らさず、笑顔で家を守り続けた。婚前のように妻が勤めることを私が嫌がったため、8時から13時までのパートを懸命にこなした。家庭を大切にする優しい妻であった。

妻が悩んだのはエキセントリックな私の母親。そして、私の父親はその防波堤にならなかった。私も結果として同じだったのかもしれない。

俗に言う嫁姑問題だが、私の母親は戦前の銀行員の祖父と祖母に育てられ、封建的家族のもと何不自由なく暮らしてきた。当時としては当たり前だったのかもしれない。外界を知らない井の中の蛙は、自分が全て正しいとし、嫁を全否定。そんな私の母親に妻は30年近く付き合い、我慢し続けた。

令和2年、私は不動産管理会社に転職し懸命に働いた。

その翌年、2人の子供が独立。同年3月には愛犬が15歳で亡くなり、そのわずか3カ月後には妻の最愛の母が78歳で他界した。妻にとって身近な親族はいなくなった。

令和4年10月17日、天命の終わりが近づいた私の父が、私と妻に会いたがっていると兄から連絡が入った。今思えば、いじめられてきた妻を無理に連れて行ったことが大きな間違いだった。死ぬ間際、父は妻に対しお礼を言うどころか、妻の人格を再度否定した。言葉の矢は妻の心に、静かに、そして確実に刺さった。翌日、父は86歳で他界した。

その3日後、今回の事故が発生した。

第二章

1.「せん妄」との闘い

■2021年10月21日

ICUで対応できる緊急処置は全て終わった。5階ナース室隣のリカバリールームに移動。これからは当人の生命力のみが生き続ける鍵。

妻は「行き場がなくなり存在を消したかった」と小さな声でささやいた後、ベッドの上で痛みと幻覚に襲われた。

深夜、パートの仕事の夢を見ているらしく「郵便局は来たかな?」と私に聞いた。次にナース室の明かりを指差し、「川の子供が呼んでいる。川を渡ってあっちに行かないと」と言う。心配でナースコールして、看護師に何が起きているのか聞いた。

『せん妄』と呼ぶ症状らしい。血圧や心拍数が限界点に達し、死の境界線に入ると発生する症状。

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