第一部 チャレンジド人生

第二章   結婚64周年記念を迎えた妻とのこれまで

佐武博司が綴る妻とのこと

一九六○年に長女、一九六二年に長男が生まれ、一九六五年一月に憧れの米国ニューヨークに駐在が決まり、家族を東京に残して1年余単身赴任、家族は一九六六年四月に来て再会できました。

一九七一年三月に大阪本社に帰任したのですが、私にとっては6年2か月、家族にとって5年のニューヨーク生活は、それぞれの人生にとって、大変貴重な体験でした(このことは、私の「第一の人生」「第二の人生」のことを綴った『いつまでも現役人生を走り続けるために』の中の「わがサラリーマン人生に悔いなし」の項、および「第三の人生」を綴った『チャレンジド魂』付録の中でもご紹介しております)。

一九七一年三月に帰国してすぐ兵庫県宝塚市の社宅に入りましたが、知人から同じ宝塚市内にそこそこ広い宅地(85坪)を購入でき、一九七二年三月に自宅を構え、二○二○年十二月まで約49年間住みました。

その間、11歳で帰国した長女(宝塚在住)は、3人の子育てを経て現在、孫4人、9歳で帰国した長男(東京在住)は、3人の子育てを経て孫2人となり、ありがたいことに私たちは現在、目出度く6人のひいじいちゃん、ひいばあちゃんとなっております(孫6人、ひ孫6人いずれも男児なので、いずれ未婚3人の孫が結婚してお姫様にも恵まれることを願っております)。

さて、妻は64年の長きにわたり、懸命に仕事人間の私を支えてくれました。前記の通り、入社2年目での若年結婚だったことにより、当初から給料袋はそのまま妻に預け、家計は任せきり、家事も頼り切りでした。しかし、妻からは苦しい家計事情について不満の一言も聞いたことはありませんでした。

妻はもともと京都市生まれの西宮市香爐園育ち。4歳の時、当時は特効薬ペニシリンもない時代で、父親が急性肺炎で亡くなるという不幸な出来事があり、家族は母親の実家を頼って田辺市に引っ越すことになったという。

幼いころから、母親の苦労を身近に見て育った境遇のもと、4歳年上の長兄が父親代わり、3歳違いの次兄は兄ちゃんとして、いわば癒しの相手となり、一家挙げての温かい家庭環境の中で育ちました。そのおかげでしょうか、妻は一見物静かで、おとなしい雰囲気、というのが私が出会った当時の第一印象の想い出です。