地元の人付き合いにおいては明るく笑顔で接し、友人、先生、勤め先(高校を出て地元の税務署に就職)のどなたにも好かれ、頼りにされていたと聞き及んでおりました。

結婚してわかったのですが、家庭内では、意外に頑固、しっかり者の面が出ていました。ある時、私に、“父親がいないという弱みは見せないぞ”と言ったことがありました。

どういうはずみでその言葉が出たのか、忘れましたが、語尾にアクセントをつけて“ぞ”とか “よ”とか発するのは、子供や孫たちにも多少面白がっていうことがあり、いつも明るく、面白いおばあちゃんと慕われる所以(ゆえん)でもあります。

自分をこのように育ててくれた母親、兄さんたち、母親の親族への感謝の念とある種の自信は、内面ではずっと持ち続けてきたと思われます。

私はこれまでの人生で、1.家庭の充実 2.仕事の充実 3.人生の充実 ということを自分なりに意識してきました。

妻の場合、兄たちが勉強の出来もよく、優等生であったが、母親が妻には“眼がわるくなってはいけないから勉強はしなくていい”と言い、おっとり育った面がある一方、妻には自然体でいて何かしら備わった、生きていくうえでの“知恵”があり、私自身が教えられるところが多かったと認識しております。

以下、妻にまつわるエピソードなど。

妻の母との対話のこと

義母は、たしか明治四十年生まれ、明治三十七年生まれの私の母と同じ和歌山県立田辺高等女学校卒業でした。

妻との結婚前、妻の母上と二人で話すことが時々ありました。だんな様を早くに亡くされた(妻が4歳の時)こともあってか、文恵の兄二人には勉強を厳しく勧めたが、妻には甘かった話もよくされていました。

私が24歳の若さで結婚し、しかも文恵が親元を離れて東京住まいとなることについてずいぶん心配されたことと存じます。

【前回の記事を読む】妻との出会い、そして結婚。結婚64周年記念を迎えた妻とのこれまでを振り返ってみた

 

【注目記事】あの日深夜に主人の部屋での出来事があってから気持ちが揺らぎ、つい聞き耳を…

【人気記事】ある日突然の呼び出し。一般社員には生涯縁のない本社人事部に足を踏み入れると…