第一部 チャレンジド人生

第二章   結婚64周年記念を迎えた妻とのこれまで

妻の母との対話のこと

見かけよりも気丈の、しっかり者です、というようなことも話されていたように思いますが、文恵と連れ添った64年間で一度だけ私に涙を見せたことがあります。

一九五八年十一月三日に郷里・田辺の闘鶏神社で結婚式を挙げ、新婚旅行と言えば、白浜~大阪~伊豆と1泊ずつしながら、私の勤務地・東京の新居へ、と向かうことでした。

若年結婚で東京住まいといっても世田谷太子堂町の今では考えられないくらいのサイズ6畳位のアパート(出入口にキッチン・共同トイレ)でした。

近くに私の母方の伯父一家が住んでおられたので、そこに決めたのですが、文恵はそれまで来たことのない東京の小さな住まいに夢破れるぐらいの不安感にとらわれたのか私に涙を見せたのです。実は64年間の結婚生活で私に涙を見せたことはこれが最初で最後でした。

文恵の母方の叔父一家が浜田山におられ、時々訪ねたりしてその後は落ち着きましたが、文恵の涙を見たとき、私は“生涯かけて文恵を幸せにする!”と心に誓ったものでした。

そのアパートには半年余りいただけで、その後、一九五九年五月に板橋区の小さいながらも戸建て住宅を購入して引っ越し、一九六○年に長女、一九六二年に長男が生まれ、一九六五年一月に私がニューヨーク駐在で単身赴任後、一九六六年四月に家族が渡米するまで、郷里から義母が来てくださり子育てを手伝っていただきました。