いつか彼女の作品についてまとまった評論を書いてみたいとそのとき思った。各作品の感想メモを書き始めたのもそのときからだった。

ジョン・ル・カレ(一九三一 - 二〇二〇)は二六冊の長編小説を公刊した。デビュー三作目の『寒い国から帰ってきたスパイ』(原著一九六三年刊)が世界的ベストセラーになり、同作は、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長編賞と英国推理作家協会(CWA)賞ゴールド・ダガー賞を受賞した。

また後に彼は、MWA賞とCWA賞の巨匠賞に輝いており、文字通りスパイ小説の巨匠として君臨してきた。

ジョン・ル・カレの作品は、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、『スクールボーイ閣下』、『スマイリーと仲間たち』のいわゆる「スマイリー三部作」をまず読んだのだが、正直なところ、当時の筆者の手に負えるものではなかった。

彼の作品を愛読するようになったきっかけは『リトル・ドラマー・ガール』(村上博基訳、早川書房(一九八三)、原著一九八三年刊)だった。

この作品の題材はパレスチナ紛争で、ハイスミス作品と同様に描かれるのは救いようのない世界なのだが、ル・カレ作品の場合は、その救いようのない世界の中で、登場人物たちを作者が何とか救い出そうとしていた。

彼が描く作品のベースにはヒューマニズムがあり、そのことが筆者をほっとさせてくれたのだ。

二〇二〇年一二月にジョン・ル・カレが亡くなった。そのとき本書のトム・リプリー論の原型になる文章を書きあげていた筆者は、次はル・カレについてまとまった評論を書こうと思い立ち、初読のときは歯が立たなかったスマイリー三部作の再読にとりかかった。

再読してスマイリーが高齢だったことにあらためて気づき、ちょうどその時期に定年退職を迎えようとしていた筆者自身のサラリーマン人生を振り返りながら、これら三作を自分の視点で読み解くことができると思った。

 

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