筋萎縮性側索硬化症患者の介護記録――踏み切った在宅介護
いつまで生かせたいですか。
私たち家族は、この面接の先生とは三人ともお互いに手を伸ばせば触れられるほどの、ごくごく至近距離にいるのです。聞こえないことなど、夢あり得ません。答えられなかっただけのことなのです。思わず私は隣の娘の顔を見ました。
この娘も始めの質問が聞こえなかったのではありません。きっと答え方、答えの言葉が見つからなかっただけのことだと思います。
私はとっさに、娘が場所も弁えず大声で泣き出すのではないかと、構えました。さすがに娘も理性で抑えきったと見え、黙っておりました。
しかし私は、ここで医療従事者たるプロと素人の、病気に対する思考力の温度差の違いを見せつけられた思いがいたしました。
命を見つめての仕事に就いておられる方々は、情緒的に病気を捉え、その病気に一喜一憂していては仕事にはなりません。ある程度割り切ってクールに事象を捉え、冷静に事にあたって行かなくてはなりません。それはよく理解できます。
でも、私たちは違います。患者の家族です。しかも娘はいずれはその時の到来は、心に思いつつも、忙しい仕事をやりくりしながら『父親・命』で必死になって介護に歩を進めつつある時なのです。
老々介護の私に代わって、どんなに仕事との板挟みの忙しさになろうとも、キーパーソンとして自分自身に鞭を打ちつつ、一日一日を必死の思いで介護しているのです。