筋萎縮性側索硬化症患者の介護記録――踏み切った在宅介護

さようなら

いろいろの方々の顔が見えます。

平成二十二年十二月十六日、夫が、ALSの宣告を受けK医大病院より救急車でここの病院に搬送されて来た時、この救急隊受け入れ口で待機してくださっていた崎宮看護師さんが、今日は送る立場で、いつもの丸いあの優しい目でこの車を見つめてくださっています。

何とかして指一本だけでも硬直を止めたいと必死になってベッドの夫にまたがって、あれこれ工夫をしてくださっていたリハビリの先生方、介護訪問先から帰ったばかりでこの旅立ちを聞かされ、取るものも取らず急遽別れに駆けつけて来てくださったという感じのリハビリの先生方、訪問看護師さんたち。

平成二十二年以来今までお世話になった歴代の四人の看護師長及び今は部署替えとなった、懐かしい看護師さんたちの顔も、あちこちにお見受けします。

三、四日緊迫した病状の中で、昼夜を分かたずご苦労をおかけしたであろう当病棟の看護師、介護関係のみなさんの顔も見えます。

みなさん、びしょびしょの泣き顔ではなく、さっぱりとしていて、ここが病院の救急車受け入れ口でなければ「ばんざい」の一言も出そうな雰囲気です。

みなさま、夫のわがままな要求もお忙しい中きちんとお聞き入れくださいました。

(ありがとうございました。長い間お世話様になりました)

私はひたすら心の中で叫びつつ『死亡診断書』の入った書類をしっかりと握りしめたまま、みなさまに頭を下げていることしかできない身でした。

私たち家族は、「みなさま、大変に長い間お世話様になりました」の一言がやっとでした。

お疲れさま、昭四郎。 穏やかな、安らかな顔をしていました。

享年八十二歳でした。