『おかげさまで』 あとがきに代えて
今、私の横には、お盆用に飾られたきれいな祭壇があります。
わが家は、真言宗智山派。お仏壇には美しい金襴の敷き布、位牌、線香、ろうそく、打ち鐘と並び、その横にはきゅうりと茄子の牛と馬が用意され、お菓子や果物、昭四郎の好きだったヤクルトや月餅が並べられています。
前面にはみなさまからいただいたきれいな、美しい見事なお花がいっそう祭壇の厳かさを演出しております。
最上段には昭四郎の写真が、ついこの間までの生活を懐かしむように部屋中を睥睨しています。
それらをまとめるようにして、東京の義弟から送られてきた大きな盆提灯が一対、かの地の夫へのお土産のように飾られております。
ここは、今まで昭四郎が五年余の在宅療養していた療養室です。ベッドの置かれていた位置に、敢えてこの祭壇を作りました。
主治医、看護師、ヘルパーさんなどたくさんのみなさまのお世話になって、昭四郎は何も苦しむこともなく、旅立っていきました。
気管切開をして人工呼吸器装着、胃瘻造設と私たち家族にとりましては本当に信じられないような試練の連続ばかりでございました。
闘病五年余。昭四郎を含め、病気とはご縁のなかった私たち家族が、難病ALSを宣告されてから、その一日、一日の早かったこと。検査入院、気胸、肺炎などの入院生活を除くと約四年の在宅療養となりました。
家庭介護を始めんとしているとき「家族が仕事を持っていては、絶対に在宅介護はできないですよ」と医療者から言われました。
子供たちが自営業ということで、時間のやりくりが出来(いや、してというべきですね)ましたので、みなさまのお力をいただきながら介護を続けてくることが出来ました。
私は何もできませんでした。というより、足を引っ張ることしきりでした。何事も健康であることが何より優先するのだということがよくわかりました。
病院、訪問看護師、介護関係者のみなさまも、よく私たち家族をお育てくださいました。 ずぶの素人が足手まといであったろうとは思いますが、よく我慢をしてくださって、いろいろとお教えくださいました。
療養は、病気と闘う、いや向かっていくというハード面と、心の持ち方のソフト面のバランスのとり方だと思います。
昭四郎がALS発症以来、先輩が、また後輩も含めたくさんの方々がかの地へ旅立ちました。それに対して私たちは怖さを感じはしませんでした。(自分たちが精いっぱい病気と対峙していれば悔いはない)と思ったからです。
私たち家族はみなさまからいろいろお教え頂いた介護・医療技術などを必死になって吸すべく、厚かましく、どん欲に、いろいろとお聞きし、教えていただきました。
それを関係者の方々は、面倒がらず受け止め、素人にも判るようにていねいにお教えくださいました。
本人はさして苦しむこともなく、とても穏やかに、いつもの生活以上にたくさんの経験をし、その中には楽しい思い出となったこともあったのではないかと思います。
【前回の記事を読む】「お願い。目を覚まして!」と心の中で大声をあげ、奇跡が起こることをひたすら祈ったものの…
次回更新は11月12日(火)、11時の予定です。