1-1 解説
君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ季節の移り変わりに伴うやまとの風土が美しく歌われています。春~夏~秋~冬と季節が展開しています。
「春の野にいでて~春すぎて 夏来にけらし~秋の田の~雪は降りつつ」と続きます。そして「雪は降りつつ」でまた第1首にイメージがつながり、季節の移り変わりと、その循環的な営みが強くイメージされます。空間的には飛鳥の地から遥か彼方の富士の山にまで広がります。
この節は、2首組をふたつ配置というよりは、4首が時系列的に配置された形になっています。
4首目の元歌は、「雪は降りける」で終わっていましたが、撰歌の際に「雪は降りつつ」と変えたことにより、1首目と全く同じ終わりになっています。また3首目の「露にぬれつつ」とも、言葉の調子が揃ってきます。
更に4首目元歌での「真白にぞ」を「白妙の」としたことで、2首目の「白妙の」と同一語になりました。
いずれも極めて意図的に作り変えられたと考えられ、定家のはっきりした狙いが読み取れます。こうして4首並べて鑑賞してみると、一段と趣が高まります。
1首目:私の衣の袖に雪が降りかかって白くなっている
2首目:天の香久山が白妙の衣をまとっている
3首目:私の衣の袖が露にしっとりと濡れている
4首目:富士の高嶺が白妙の衣をまとっている
実に見事な対比だと思いませんか?
この節は、遠島にある天皇と対比させるかのように、意識して、いにしえの天皇の歌を撰び出しているように見えます。なおかつ、やまとの季節の移り変わりを的確に表現して且つ類似語が多く含まれる4首を撰び出し、その4首を並べてみた上で、適切な言葉の作り変えを加えた結果でき上がったものと想定され、相当に手の込んだ撰歌作業であると言わざるを得ません。
言葉の作り変えもあって、この4首には実に多くの同一語、類似語が含まれる結果となっています。
このように、意図的な作り変えが複数あり、同一語、類似語も数多く組み込まれたところを見ると、比較的初期の、というより一番最初に手掛けた撰歌作業によるものだったのではないかと想像されます。
いにしえの天皇の歌と、配流された天皇の歌を、第1部の先頭と末尾に配置する構成が当初から定家の念頭にあったのではないでしょうか。
撰歌作業の当初から、定家が真序小倉百人一首の配列をはっきり目指していたのではないかということを強く感じさせます。
【前回の記事を読む】藤原定家の秘められた思慕、式子内親王に対する追慕こそが第2部全体の隠された主題