Ⅱ(5・9)の数(かず)セット Ⅱ− 1 Ⅰ− 2 に見た景行天皇の皇子につき、最初の5柱と、残りの10皇子から疑問符のつく大枝王を除いた9 皇子とが、(5・9)という数(かず)セットを形成している。

Ⅱ− 2 湏佐之男命(すさのをノみこと)の子、大年神には3人の妻があり、それぞれの子が「五神」「二柱」「九神」の順に挙げられている。「神」によって数えられている子が「五神」と「九神」であり、ここにも(5・9)の数セットがある。

Ⅱ− 3 水齒別命(みづはわけノみこと。第18代、反正天皇)の身長が「九尺二寸半」と記されている。「半」は五分(いつきだ)のことであるから、ここにも(5・9)の数セットがある。

Ⅱ− 4「 那藝(なぎ)」という音仮名二文字の句は地の文に9例、分注に5例を数えることができる。故にここにも(5・9)の数セットを見いだすことができる。

Ⅱ− 5 真福寺本によれば、「筑紫」が9例、「竺紫」が3例、「竺紫」の誤字と思われる「笠紫」が 2例あり、ここにも3+2=5 と9 、つまり(5・9)セットを見いだすことができる(竺の古写本の字形は竹冠にユもしくはエであり、立の草体に近い)。

Ⅱ− 6「 呉」は真福寺本・鈴鹿登本などでは異体字の「吴」と書かれるが、この吴は吴公(むかで)、吴服(くれはとり)、吴床(あぐら)、吴人(くれびと)、吴原(くれはら)という5種類の熟語のみに用いられる訓字である。それぞれの用例数は、吴公が4例、吴服が1例、吴床が5例、吴人が2例、吴原が2例である。吴床の5例と、ほかの4+1+2+2=9例とで、ここにも(5・9)セットがある。