このように考えさせてくれた娘たちと母の和やかな場でした。これが家族というものだとつくづく感じさせてもらった瞬間でした。

52歳で亡くなった私の母が望んでもできなかった家族の姿が80歳を越えた認知症の母にバトンを引き渡されて、実現しているのかもしれないと思いました。こうしていのちや家族は、姿や形を変えて引き継がれていくのではないでしょうか。

最後まで触れるべきか悩んだのが父との関係です。故人となった父のことを書くのは、気が咎(とが)める部分もあり、思い出すと様々な感情が呼び起こされるのですが、父との間で起きたことが義母の介護にも一定の影響を及ぼしているようにも考えています。ですからこの問題に触れなければ、母の介護がよくある美談になってしまうのではないかと考え書いてみたいと思います。

さて、話を進めましょう。父との関係は昔から普通の親子のようなよいとはいえないものでした。誤解を恐れずに言えば、私は子どもの頃から父親が好きではありませんでした。

生活歴の問題か、元来の性格の偏りかまたは教育を受けられなかったことによるのか、またその複合かはわかりませんが、父は、感情が先立つ人でした。(昔よくいた父親像かもしれません)彼に違(たが)う意見を言えば「何を!!」と大声をあげ脅し、暴力も普段に振るっていました。

その被害を最も受けていたのが母だったのでした。母は「お父さんに逆らわないように」とまるで腫れ物に触るように生きていました。母を苦しめていた暴力の権化としての男を「親」として受け入れたくても受け入れることは正直難しかったのでした。


1,2)若松英輔 「悲しみの秘儀」 ナナロク社 初版2015年 p.9。