「昼より雨しきりに降りて、月見るべくもあらず。このふもとに、根本寺の前の和尚、今は世を遁れてこの所におはしけるといふを聞きて、尋ね入りて臥しぬ。」

庵は(杜甫が)「人に深い反省の思いを抱かせる」と詩に詠んだような雰囲気で、清浄な心を得る心地であった。明け方雨が上がり、「和尚起こし驚かし侍れば、人々起き出でぬ。月の光・雨の音、ただあはれなるけしきのみ胸にみちて、言うべき言葉もなし。」根本寺に古い軸がある。芭蕉直筆とも言われている。

八月十五日夜

寺に寝て寔(まこと)顔なる月見哉   芭蕉

いささらば光競へん秋の夜の

    月も心の空にこそすめ       禅師

月早し梢は雨を持ちながら       芭蕉

〝いささらば〟この突き放すようなフレーズには、禅師の芭蕉への、励ましのことば、師の弟子にたいする〝喝〟であると同時に、一介の修行僧となった自分も、己の道を究める点では、おなじ競争者であるよ、修行の根本は心を磨くことあるのみ。という言葉ではないか。おそらくこの言葉は、芭蕉が佛頂から頂いた師の本音の句であろう。

笈の小文の旅

貞享四年、鹿島紀行の旅を終えたすぐの十月二十五日、「笈の小文」の旅に出発。関西方面へ。前回の「野ざらし紀行」とは、様変わり、奥州露沾公(大名家)の餞別句会、江戸蕉門の句会等、「この三月の糧を集むるに力を入ず」という流れとなった。

旅人と我名よばれん初しぐれ

「笈の小文」の冒頭に「百骸九竅(ひゃくがいきゅうきょう)の中に物有(自分自身の風体)。かりに名付て風羅坊といふ。誠に薄物の風に破れやすからむことをいふにやあらむ。かれ狂句を好くこと久し。終に生涯のはかりごととなす」「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化(自然)にしたがひて四時(四季)を友とす」とある。

これが風流の世界に生きるという事。今まで、いろいろ試行錯誤の人生であったが、これからはその道を歩むという決意の旅である。

【前回の記事を読む】芭蕉生涯最大の転換点となる佛頂和尚との出会い。俳諧の真髄を求め旅から旅の生活へ

 

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