「わたしですか? 和歌山県田辺市から来ています」

このようなイベントでは笑みを浮かべ対応するが、恵利子のほうから先に声をかけることはほとんどなかった。お客さんからなにか尋ねられることはあっても先に声をかけることはない。

その男の笑顔に誘われるように先に声がでていたのだろう。真っ直ぐ男に視線をむけていた。瞬間に感じていた。なんてすてきな笑顔なのか。その笑顔に引きこまれそうな感じがする。

日に焼けた顔、白い歯、濃く太い眉、やさしそうな瞳。温かい心の持ち主に見えた。上着は濃紺のTシャツだった。左胸にちいさなイルカが描かれている。

恵利子が今つきあっている相手もおおきいが、目の前の男のほうが数段おおきい。恋人のことを一瞬忘れている自分に気がついたが、心のかたすみに生まれたときめきは止められなかった。意識しないまま次々に言葉がでた。

「和歌山県からですか? 遠いですね」

「そうでもないですよ」

「ここは島ですから大阪にでて新幹線で来られたのですか?」

「いいえ、別のルートもあるんですよ」

遠い和歌山から別のルートがあるのかな。フェリーで対岸の徳島県に渡りここまで来たのかな。

「別のルートですか? そのルートを教えていただけませんか?」

「わたしの乗っている船が近くの島にドック入りしているので船で来たんですよ」

えっ、船で来た? 新幹線やフェリーじゃない。予想外の答えだった。誰もが来るような一般的な自家用車や鉄道の交通機関で来たのでないのか。

「そうですか。じゃ、船に乗っているのですか?」

「はあ……」

照れながら話す仕草、爽やかな感じが全身に滲みでている。恵利子はこの男にさらに興味を持った。船に乗っているとはどういうことなのか。おおきな船に乗る外国航路の船員さんなのか、国内を走る船なのかなあ。いったいどのような船に乗っているのだろう。