7人兄弟の長男として生まれた父は自分の力で幼少時(11歳の頃)に農業に見切りをつけて商売人への道を歩み、商売人として成功した苦労人である。その間に「商売人で成功する」という強い自我を得たのだろう。父は2度の起業で自分の意志を貫いた。私に対して「勉強をする必要はない、家事を手伝え、困れば社会に聞け」と言って私を育てた。父は私と人生について話すことはなかったが、私を商売人に育てたいと思っていた。

私も幼少期には両親の教えを守り、家事を手伝い勉強をしないので私の成績はどん底だ。家では手伝いをする良い子だったが、気が付けば学校では落ちこぼれの敗者となっていた。

母は宗教を信仰し、教会で小さな御社を拝んでいる。勿論、家にも小さな御社を祭っている。この中に神様がいると教えるが、私は信じられない。

両親は大変な苦労に基づく強固な人生観(自我)を持っているので、根本的なところでは譲らない頑固者だった。私は両親の自我と戦いながら自分の人生を構築していった。

小学校5年生の時に、神様とは何か、毎日考えるようになった。神様とは何か→自然界は科学原理で動いている→神とは科学ではないか→科学を学び研究者になりたい半年以上考えたと思うが、「神は科学」ではないかと考え、将来は科学を勉強して研究者になりたいと密かに思い始めた。ここに私の自我が確立され、この自我に従い両親と異なる人生を歩むことになった。

両親と対立しながら、自分の人生を粘り強く求めることになる。関西学院大学理学部の修士課程に進学した時から家業の跡継ぎを諦めてくれた。しかし、父が作った大家族主義による家族の呪縛から解放されるには、父との戦いはまだまだ続いた。

長く続けることは途轍もない力を与えてくれる。自我は生きる為の信念のようなもので、一過性のものではない。この自我が壊れない限り戦いは続く。12歳の時から81歳になる現在まで自我に基づき真面目に生き抜いてきた。研究者にはなれなかったが、現在は40名近くの博士取得者と100名以上の修士取得者を雇用する研究開発会社を設立し、経営している。