「事業本部人事部には時々伺う機会がありますが、本社人事部はこれが初めてです」

両手をぎこちなく膝の上に置き、緊張しながら答えた。

「早速ですが、上のフロアーに行ってもらえますか」

写真が貼付されたファイルに目を通しながら、専務は極めて事務的に伝達した。落ち着かないのか組んだ脚を無造作に揺すっていた。ワイシャツとネクタイのⅤゾーンには海外赴任が長かったのか一見派手そうに見えるが、はた目にもセンスの良さがうかがえるネクタイが結ばれていた。

しばらくの沈黙のあと、「え、なんのためでしょうか」渉太郎は怪訝な表情を隠さずに聞き返した。

「まぁ、行けば分かります。詳しいことは後にしましょう」と、煙に巻かれるようにかわされた。

エレベーターで上層階に上がり、指示された階で降りた。広い廊下には絨毯が敷かれ、壁には大きな絵画が飾られている宏壮な空間が広がっていた。一歩足を踏み入れてみると、ふかふかの絨毯の感触が伝わる。不思議なことに部署名の表示が一切なかった。

本社人事部ですら一般社員からすれば気後れする場所であったのに、部署名の表示が一切ないこの場所は、なおいっそう一般社員からは隔絶された異次元の世界だと感じさせた。

きっと会長と社長が執務されるフロアーだと想像できた。一般社員が生涯立ち入ることのない別世界なのだと痛感して、しばらく立ち尽くしていた。