新婚旅行は故郷の熊本へ
結婚は昭和四十三(一九六八)年四月二十九日、当時の天皇誕生日の祝日に、川鉄の工場敷地内にある会社の共済会館で披露宴を挙げた。私は三十一歳、妻の静枝は二十五歳になる年だった。
仲人には私の上司の末永総作業長がなってくれ、司会はやはり上司の小林作業長が務めてくれた。多くの仲間や家族に祝ってもらい、無事に披露宴が終わって、さぁ、新婚旅行に出発というときのことだ。
私たち新郎新婦がタクシーに乗り込み、みんなに見送られながら走り出したのはいいけれど、わずか五十メートルほど行ったところで、突然ガタンと揺れてストップしてしまった。運転手が慌てて車を降りて見たところ、なんと後輪の左側のタイヤがパンクしていたのだ。
私たちは車から降ろされた。何事かとみんなが寄ってきて、「あれ、パンクしちゃったよ」と笑い出す。私たちも苦笑いするしかない。
運転手がタイヤを取り替えて、どうにか再び出発し、事なきを得たのだが、さて、私たちの結婚の前途はいかに……と不安を覚えた。妻の心中はいかばかりであったのか。その予感は当たらずとも遠からず、だったことだけは確かである。
とにかく気持ちを切り替えるしかない。私たちは新婚旅行へと向かった。新婚旅行には私の故郷に妻を連れていきたいと思っていたから、旅先は九州と決めていた。一週間ほどの休みをもらい、阿蘇や天草などを巡った。もちろん懐かしい地元へも帰り、妻を母の親戚にも紹介した。
産みの母である「おばさん」にも会わせた。私にはそんな感慨はなかったけれど、おばさんは涙ぐみながら祝ってくれた。
新婚旅行から帰ると、新しく建てた家で母と妹と私たち夫婦四人の暮らしが始まった。嫁と姑は一緒に暮らすと仲が悪くなるというが、ありがたいことに二人はうまくやってくれた。母も妻を優しく迎えてくれたし、妻もそれなりに母をたてながら、良い関係を作る努力をしてくれた。
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