第5章 適応障害についての疑問・2

身体症状というサイン

身体症状の訴えが前景に出るこれらのうつ的な状態が、何に分類されるのかクリアにならないままですが、現に苦しんでいる若者がいるのですから、考えないといけません。

このような身体症状から連想しやすいのは、学校に行きたくない子どもが朝、腹痛などを訴える状況です。何かがあって行きたくないのでしょうが、軽い場合はなだめられたり𠮟咤激励されたりして、行ってみたら大丈夫だった、翌日からケロッと元気で行ったりします。

重い場合は身体症状や状況が深みにはまっていきます。最近は行きたくない場合はムリに行かせないというのが主流になっていますが、難しいところです。この場合、学校に行ったらイヤな思いをするという考えや不安が強くなっているが、行かなければならないという葛藤状態にあります。

自分では解決が難しいので身体症状になって現れると考えられます。この葛藤状態の結論は、自分より大きな強制力によって行くように押し出される、もしくは行かないことを許されるどちらかだと思いますが、子どもの場合保護者がいて許可を出したり何らかのサポートしてくれたりします。

機序としては似ていますが、イヤだ、つらいと思っても、行かないといけない、がんばらなければならないと自分に課す思いがあり、ひとり自分の中で葛藤状態になっていると考えられます。

ストレスに対し、泣く、怒る、自分の意見をぶつける、不当だと訴えるというような行動には至らず、自責の念と辞めてはいけないという観念のもとにそこに留まり続ける。なぜ辞めないのかは先に検討しましたが、今起こっていることを適切に判断できないでしょうし、葛藤状態から抜け出せず身体症状になって現れるのでしょう。

このような身体症状の出現を子どもと比べてしまうと、子どもじみた反応で若者が子どもだからだと思われがちですが、大人でも当然起こり得ます。

昔仲よくしてもらっていた保健婦(師)さんが、新生児訪問で訪れた家が非常に貧しくて、汚れた板の上にこれまたとても清潔と思えない湯吞茶わんでお茶を出してくれました。貧しい中での心遣いで無下にはできないと感謝していただいたところ、ジンマシンが出てしまったと苦笑していました。

セクハラ上司にほとほとイヤになり嫌悪感を募らせていたところ肩に触れられただけで吐き気がしてしまったなんてこともあります。生身の人間は機械ではないので、自分自身でさえコントロールが難しいのです。

反応としては理解できますが、これらの現象は正直な気持ちに反し、何らかの価値に自分を従わせようというところに特徴があります。その点で子どもではありません。

穿って精神分析的に考えてみると、自分が仕事に対し不安や緊張や苦痛を感じているのではなく、身体的な不調として扱いたいという無意識的な力が働いているのかもしれません。

またイヤでも、ある価値観に従うべきだという人間像のようなものがあるのかもしれません。どちらにしても自分を強いるという考えは努力することや自分を自律することにおいてよく見られますが、自分が了解し意識できる範囲で有効だと思います。

身体症状が出てきた時は、自分がムリをしている、自分が自分にムリ強いしているサインだと考えたほうがよいと思います。