「よろしゅう、お頼み申しますぅ──」

猫なで声で、恭しく入って来たのは、きれいに剃髪した僧侶だった。仮設診療所の患者第一号で、それをヨンケルの診察室に案内したのは、まだ医学生にもなっていない万条だった。

明治五年九月十五日(一八七二年一〇月一七日)、京都療病院はついに船出となった。だが人材はまったく足りず、ドイツ語のできる万条は貴重な戦力でもあった。

僧衣も清潔なその患者は、有力寺院の住職だった。仏教関係者は療病院の主要な出資者だったため、真っ先に受診しに来ても不思議はなかった。

京都という土地は、幕末の動乱期を除き、もともと武士がほとんどいなかった。しかも戊辰の年、鳥羽と伏見での戦が終わるや、武士は煙のように消えてしまった。維新が成ると、公家たちはこぞって東京へ移住した。わずかながら京都に残った者は、みな零落していた。

当然ながら、彼らをお得意様にしていた商人も、巻き添えを食うように困窮して行った。公家文化を支える道具類が、ぱたりと売れなくなったからだ。それらを作る職人たちの仕事も、激減してしまった。

経済的にも京都はどん底となっていたが、相変わらず小金を持っていたのが寺院だった。京都の檀家(だんか)制度は強固で、影響は最小限だったのだ。

その僧侶の診察は、ドイツ語通訳の大木玄洞を介して行われた。大阪にヨンケルを迎えに行く前日、急病で行けなくなった人物だ。

後日聞けば、鯖(さば)寿司にあたり、腹痛で動けなくなっていたという。ようやく今日、大木は本来の仕事を任されると、万条はその補助役を仰せつかった。

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