仰天続きの小学校時代
次姉がいなくなりお手伝いさんも名立町に戻り、私にとってごく普通の小学校生活が始まりました。
といっても、今の小学生とは大違い。ゲームもなければテレビもないし、電話もなければ車もない。本当にな~んにもないのです。あるのは目の前に広がる田んぼと、道路の真ん中に落ちている牛のフンくらいなものでした(その頃は、田んぼを耕す牛が道路を往来していて、うっかりフンを踏んでしまうと大変なことに!)。
秋になると「稲刈り休み」といって学校が一週間ほど休校になり、子供たちも稲刈りやはざ掛け(高く組まれた木に稲を干す)を手伝ったものです。
冬には住宅の横の段々畑が雪に覆われ格好のスキー場となり、春には桑の実や野イチゴが実り、近所のお兄ちゃんたちに連れられて野山を駆け回ったことを思い出します(ときには畑の中を走り回って農家の方に追いかけられたこともありましたが……)。
教員住宅から学校までは県道をぐるっと周って三分ほどでしたが、あぜ道を真っすぐ行けばもっと早く、裏の山道を使えば誰にも気づかれずに忘れ物を取りに行くことができました。
冬には田んぼに積もった雪が凍り、ミシミシ音を立てながら田んぼの中を歩くのがとても楽しかったです(見つかると怒られましたが)。
あるとき、裏山を走っていると蛇を踏みつけそうになり、ビックリ仰天!!! 驚いた蛇も怒って頭をもたげ、しばし二人? で睨めっこ。
またあるとき、あぜ道を歩いていたら田んぼの中に蛇を発見! 驚いて、あぜ道を戻ろうとすると、あっちにもこっちにも蛇が、うようよ! うようよ! 蛇の大群に囲まれ、進むことも戻ることもできず、絶体絶命のピンチになってしまいました。
恐怖に震えながらも何とか引き返しましたが、その後も蛇との遭遇はキリがなく(家の中に住みついて朝になると抜け殻が落ちていたり玄関でとぐろを巻いていたり)、こんな経験の積み重ねが、私を大の蛇嫌いにしたのかも知れません。
【前回の記事を読む】「家に火がついた!」という知らせが!母が家に戻った時には既に手の施しようがなく…