私の人生で大きな転機になったのは、髙野吉郎名誉教授(東京医科歯科大学)との出会いです。その出会いは、学部3年生の講義まで遡ります。
助手になりたての髙野先生が横長の黒板いっぱいにネズミの切歯の絵を描いて説明した歯の形成過程(ネズミの切歯は一生涯生え続ける常生歯なので、歯の矢状断切片を観察すると、歯の形成のすべてのステージを見ることができる)は私の頭に鮮烈に残っています。
髙野先生が私の恩師小林教授の後任の教授として母校に赴任したのが、私が大学院を修了した直後の1991年4月でした。私は4月から、将来の歯科医師としての基盤をつくるために市内の歯科医院に勤務していましたが、大学院生の時にやり残した仕事を完結させるために、医院の休みには大学に通い続け、論文をまとめる作業をしていました。
そんな私の姿勢が髙野教授から評価されたのでしょうか。髙野先生から、「もう一度助手として大学に戻る気持ちはないか」とお誘いを受けたのです。当時勤務医2年目で、開業医としての自分の将来像と4年間の大学院生としての研究生活の充実感を重ね合わせた時に、教育・研究者としての道が魅力的に映ったのを覚えています。
当時31歳の自分の中では、臨床医になるか教育・研究者になるか35歳までに自分の人生を決めようと思ったのでした。
初めての国際学会に臨んだのが1994年でした。英語の討論もままならないで発表ポスターの前に立っているだけの私と対照的に、髙野教授は流暢な英語でジョークを交えながら基調講演を行いました。髙野先生のそれまでのエレガントな研究方略と重ね合わせ、髙野先生こそが自分のロールモデルであると実感した瞬間でした。
文部省(現在の文部科学省)在外研究員に採択になり、フィンランドヘルシンキ大学留学が決まったのが、自分が人生の分岐点であると定めた35歳の時(1997年)でした。この時、教育・研究者の道に進むことに何のためらいもありませんでした。
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