第1章 美沙と慶子

美沙は、祐介たちと同じ美術大学の洋画科でクラスメートだった。ルネッサンス期の絵画に描かれた聖女のように、目鼻立ちが整った色白で小顔の娘だった。そして、何よりも黒く大きな瞳が、瑞々(みずみず)しくそこに在った。だから、入学した時には、すぐに目を惹いた。

美沙に最初に関心を向けたのが、祐介と予備校の時から一緒の安田公男(やすだきみお)である。安田は付き合っている女性がいたにもかかわらず、臆面もなく美沙に近付いた。

そして、間もなく美沙を「みさ」と下の名前で呼び始め、さも自分が美沙と恋人でもあるかのように振る舞い始めた。そして、昼休みや放課後には美沙の側にピッタリと付いていたものである。

だから、祐介が美沙と話をする時には、それなりに気を遣うことになる。安田は、祐介が美沙と何を話すのか一言一句に聞き耳を立てるような素振りを見せた。たぶん、安田は自分にとって都合の悪い話でもされるのが心配だったのだろう。祐介には、そういう気持ちは露ほどもないのだが。

祐介は、安田の恋人に何度か会ったことがある。慶子と言って、小柄で目が大きく、いつも化粧をしていない少し色黒の女性であった。短大を出て自動車販売会社の事務をしていた。確か初めて会ったのは、安田の住む川越にある家に遊びに行った時である。ちょうど安田の家族が、母親の実家のある秋田に旅行していて留守だったこともあり、一緒に自宅で酒でも飲まないかという誘いを受けたのだ。

安田の家を訪ねると、そこに初対面の慶子がいた。どうやら安田は同じ誘いを慶子にもしていたようだった。紹介を受けた後、祐介と安田は居間のソファーに深く腰掛け、テレビのお笑い番組を見ていた。

慶子は、いつもなら安田の母親が立っているはずのキッチンに立って、冷蔵庫の中身を勝手に物色し、テキパキと酒の肴を作り始めた。気が付くと花柄のエプロンまでしている。まるで、新妻のようだ。

  

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