はじめに

あなたは19世紀フランスの作家ギュスターヴ・フローベールを知っているだろうか。彼のデビュー作にして代表作、『ボヴァリー夫人』を読んだことはあるだろうか。読んだことはなくとも、この有名な作品は何度も映画化されているので映像で視(み)たり、文学史などでそのストーリーは知っているかもしれない。

今日 (こんにち)ではテレビドラマでも普通に扱える題材〈不倫〉を一つの主題とするこの作品は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』に先立つこと約20年、おそらく最も早い時期に「姦通小説」として物議を醸(かも)し、〈風紀紊乱 (びんらん)・宗教冒瀆(ぼうとく)〉の罪で起訴された。

幸い無罪を勝ち取ったが、書評は好意的なものではなかった。が、皮肉なことにこの裁判と物語の背景にある実在の事件・人物が取り沙汰されて本は評判となりベストセラーとなった。この150年以上も前の出版界の出来事は何と今日的であることか。

しかし『ボヴァリー夫人』が時を越えて読みつがれているのは、こうした一過性のスキャンダル故にではない。

1821年、ノルマンディ地方ルーアンで生まれたフローベールは、早くから文学の世界に目覚め、10代半ばから多くの作品を地方の友人達と共に同人誌に発表していた。それらの初期作品はロマン派興隆期の影響を色濃くみせ、抒情と幻想に充ちた広大な世界への憧れを表明している。が、同時に死・虚無の恐怖、暗黒・醜悪な世界への関心も見せている。

すでに少年時代から、自分の生きている時代、自分もそこに属している中産階級の社会と人間に深い嫌悪感を露わにして、〈人間の愚かさ〉にシニカルな眼を向けていた。初期作品で扱われたテーマの幾つかは、その後形を変えながらも終生彼が追究していくものとなる。

ともあれ驚くべき早熟の才を見せた後、長い習作・修業時代を経て、1857年に世に出たこの作品は写実主義レアリスム小説の傑作と評価され、遅まきながら彼に作家の道を開くことになった。

彼はこの作品を完成させるのに5年近い月日を要した。それは〈あるモノを表現するにふさわしい言葉は一つしかない〉〈言葉と言葉をつなぐ絶対の関係がある〉という理念のもと、完璧な表現を求めて何度も推敲を重ね、作品の為の資料・文献収集とその読書にも厖大(ぼうだい)な時間を要したからである。