二、牛李の党争

権力の中枢に立ちこれからが力を発揮できると思っていた矢先だった。李徳裕の後ろ盾となっていた穆宗もまた長生薬金丹の飲み過ぎにより、在位期間僅か四年で崩御してしまったのだ。穆宗の死は李党の後退を意味し、牛党の台頭を助長するだけのものでしかなかった。

輿の上から夕靄に煙る小雁塔(高さ二百七十尺余りの仏塔)を眺め、唇を噛む李徳裕の姿があった。

「この景色も暫くは見られないが、必ず戻って来る」

胸の内で誓い、唇を硬く結んで小雁塔から目を逸らした。

屋敷に帰った李徳裕は一人奥の仏間に籠り、祖先を祀る祭壇の前に座していた。李徳裕の家系は後漢の時代から続く名門貴族、李家の繁栄を祈り、唐王朝の隆盛を願って手を合わせた。

政敵である牛僧孺の祖先は、隋の時に僕射(ぼくしゃ)であったと言われ、祖父も父も卑賤な低い身分であり見下す存在であった。

だが、何よりも藩鎮融和政策を口実に全ての政策に異議を称える牛党の官吏達が腹立たしかった。

「父上は藩鎮融和など軍を持てなかった徳宗が、藩鎮どもに負けて従わされた屈辱的な愚策と仰っていましたね」と、位牌に話し掛けていた。

「牛僧孺らは財政再建の道筋を示すこともなく、藩鎮の力を抑えようともせず、唐を分裂に導いています。理想だけで国を動かすことはできませぬ。父上、私に力を下さい」

長い祈りを終えて廊下へ出た李徳裕を、緊張の面持ちの春鈴が待っていた。

「旅に出る。出立祝いの酒の用意を」

「えっ、長安を離れるのですか」