二、牛李の党争

放埒横暴(ほうらつおうぼう)な性格と言われる敬宗だったが、宦官王守澄の専横に阻まれ政務に携わることもできず悶々とした日々を送っていた。

ある時、敬宗は父・穆宗が生前に書き、隠し置いた手紙を寝所で見付け出した。 そこには王守澄と牛党の官吏が謀り、権力を我が物にしようと結び付いている事実が記してあった。

敬宗は王守澄に言われるまま、李逢吉を後見人に指名したことを後悔するが、今となっては、牛党で固められた宮廷内に敬宗を補佐する人材もなく、権力を取り戻す方法を見出せずにいた。

そんな敬に置宗の鬱積した不満の捌け口が遊興だった。敬宗は角力(すもう)を特に好み、力士を身近き臣下として抱えて、宦官と相撲を取らせ、自身の不満の捌け口に、宦官を虐める道具として使うようになっていた。 

感情の起伏が激しい敬宗は、酒に酔い時々の気分で側近の宦官に懲罰を加えたり、訳もなく恩賞を与えることが多かった。 

宦官達は行動の予想すらできない敬宗に不安を抱き、腫れ物に接するかのようになり、中でも敬宗に特に寵愛されていた宦官劉克明(りゅうこくめい)は、敬宗の突然の心変わりを恐れていた。 

「何時、敬宗に飽きられ嫌われるか分からない、どんな辱めを受けるかも知れない」

劉克明は敬宗に見放され、近い未来に、我が身に災難が降り掛かるのではと、怯える日々を送るようになっていた。

殺される恐怖に耐えられなくなった劉克明は、夜遊びから酒に酔って戻り、寝込んでいた十八歳の敬宗を殺してしまった。

殺害後、劉克明は予め用意して置いた偽造の敬宗遺詔を用いて、李悟(りご)(憲宗の息子)に帝位を継承させようとした。