一、羊の群
なだらかな起伏を描き漠々と続く草原の直中に、何処から来て何所へ行くのかも分からぬかのように青年が一人、忽然と立っていた。
青年の頭上には抜けるようなコバルトの青い空が広がり、陽が傾く西方の彼方に残雪を戴く峰々の輝きがあった。茫洋とした北の地平線に目を向ける青年の衣の裾は、足許の枯れ草と共に微風になびいていたが、光沢ある絹の衣は周囲の景色に馴染むことなく、浮き上がって見えていた。
大地が醸し出す圧倒的な自然の精気に押し包まれ、どことなく心細気に見える青年の耳朶は、風に乗って何所からともなく運ばれる、耳障りな小さな空気の振れを感じ始めていた。
流れ伝わる不快な振動は、徐々に低い音へと移行しつつあり、青年の胸の内で不安の滲みが広がっていた。
ゆっくりと周囲を見回す青年の目に映るのは、背の低い灌木の点在と、所々に黒褐色の岩肌を露頭する島状の岩塊だけ、地面は黄色味を帯びた淡茶色の細い枯れ草に隙間なく覆われていたが、よく見ると根元に薄緑の新芽が張り付くように覗くのが見え、僅かな和らぎを感じさせた。
青年が顔を向けた方向には、扇のような形状の広大な窪地が開け、振り向く背後は、緩やかな勾配の丘陵が低く遠く重なるように続いていた。
青年が立っていたのは、柔らかに下る傾斜の中程、空気の振れは皿の縁のような尾根の向こうからと、肌に伝わる感覚が教えていた。
稜線をなぞるように青年の顔が動き、低く湾曲した凹みに小さな白い点を捉えた。
斜面を這うような白い点が生き物だと気付いた時、数個だった点は数十に増え、瞬く間に百以上となって、湧き上がるように稜線を乗り越え、刻々と数を増やしていた。白い点は、離合集散を繰り返しながら、水のようにゆったりと傾面を流れ、波のような広がりを見せながら、包むようにこちらへ近づいていた。