二、牛李の党争

首を垂れ目立たぬ部屋の隅に控えていた春鈴が、慌てて酒器を手に李徳裕の横に立ち白い濁り酒を盃に注ぎ入れ、直ぐに部屋の隅に下がった。

「どちらへ行かれてしまうのですか」と、横に座す劉氏の不安の目が向けられた。

「心配するな」

「そのように言われても、私には殿の身を按じることしかできません」

「暫くの間だ、劉氏の顔が見れぬのは、寂しいが……」

笑顔を作って盃を口にしたが、李徳裕の胸の内は何も知らぬ年若い敬宗を陰で操る牛僧孺らへの怒りが込み上げていた。

「何所へ行かれてしまうのです。宮殿で何があったのですか」

「南へ下る、揚州だ」

「また、遠くへ行かれてしまうのですね。閣下は唐のために遠い成徳まで戦に出向き、戦果を上げてお帰りになられたばかりではないですか。天子様からお褒めの言葉があっても、お役を解かれ遠くへ行く理由などないと思います」

「そう思うか……」

「なにゆえ、閣下が都を離れねばならないのですか?」

「皇帝が替わり不条理がまかり通る世になってしまったからなのだ」

「そうおっしゃられても……殿は唐のため、身を粉にして尽くしているではないですか……それなのになぜ揚州へ行かなければならないのですか」

先刻のお婆の言葉が浮かび、

「直ぐに戻る、心配せずともよい」と、笑顔を劉氏へ向けたが、劉氏には悟られぬよう春鈴を見た。 

「どのような理由で行かれるのかは存じません。劉氏も揚州へお連れ下さい、お側に置いて頂けないでしょうか」  

寂しさが滲む劉氏の声に、李徳裕の手が差し伸べられ優しく劉氏の頬が撫でられた。

「揚州は遠い、屋敷を守ってくれ」

李徳裕の置かれた立場を、察するような有知な劉氏の顔が向けられた。

「閣下の無事なお帰りお待ちしています」

潤む劉氏の瞳に、李徳裕の顔が映っていた。