皆が寝静まった真夜中の廊下を、音を消すように早足で歩く人影があった。
影が角を曲がり中庭に沿った廊下を進んでいた時、一瞬、身構えるように立ち止まった。
「お婆め! また出たか、何の用があるのだ」
思わず唇が震え、擦れた声が小さく耳を震わせる。
何もないはずの暗い廊下の隅に仄白く浮き上がる影が目に留まり、口を突いて出た李徳裕の言葉だった。
「殿のお帰りをお待ちしていました」
思いもかけない、澄んだ柔らかい声に、緊張が解れていった。
佇む影は薄桃色の衣を纏った春鈴だった。
「どうした……なぜこんな所にいる」
「殿にお会いしたかったのです」「こんな所に居てはかぜをひく」
李徳裕は寝室の戸を開け、春鈴を導き入れた。
「揚州へ行ってしまうとお聞きましたが、誠のことでしょうか?」縋り付く目が李徳裕を捉えて離さなかった。
「心配するな、離れの棟はそのままにしておく、春鈴はこれまで通り劉氏を支えて留守を守ってくれ」
「お連れ頂けないですか……春鈴は」
「分かってくれるな!」
「お邪魔になるようなことは、決していたしません。春鈴をお連れ下さい」
春鈴の涙の雫が指先に触れ、抑えていた牛僧孺らへの怒りが方向を変え、李徳裕は手荒く薄桃色の春鈴の裙を剥ぎ取った。
「乱暴はお止め下さい」
普段は理知的に穏やかに接する李徳裕の変化に、驚いた春鈴が思わず身を縮めた。
だが、青白く生気の薄い李徳裕の顔を目にし、春鈴はささやかな抵抗を示しただけ、目を閉じて労るように身をまかせると、白く柔らかな太腿の付け根に李徳裕の指先が強引に差し入れられた。
「抑藩政策を批判するだけ、戦場へ出向きもせず、安穏と詩を読み妓女と戯れて日々を過ごす牛党の輩に負ける訳にはいかぬ! 必ず長安に戻る」
李徳裕は胸の内でつぶやきながら、荒々しく春鈴の胸を開けた。