二、牛李の党争
これが世に言う進士派閥牛党と貴族派閥李党の官吏による勢力争い、 牛李の党争である。
成徳の戦から戻った李徳裕は、人目に付かぬよう秋蟬を長安の別邸に留め置き、世話をするのも限られた用人だけ、外部との接触がないよう警護を固めて監視させていた。
李徳裕が別邸を訪ねるのは月に一、二度、固い殻に籠るように心を閉ざす秋蝉と顔を合わせるのも稀なことであった。
長安を離れると決まった日、李徳裕はその事実だけを一言、秋蝉に伝え置こうと、久々に別邸を訪れた。部屋に籠ることの多い秋蝉が、急な呼び出しを受け、不安げな面持ちで、李徳裕の前に座った。
李徳裕が久々に目にする秋蝉は、身体付きも幾分柔らかな丸みを帯び、髪の色も艶やかで、美しさが増して映った。物腰も落ち着きを取り戻したかに見えていたが、馴染まぬ反抗的な目の色に変わりはなかった。
「秋蝉、儂は長安を離れ揚州へ行くことになった」
予想もしない言葉を聞かされ、秋蝉は動きを止め李徳裕の顔を窺った。
「誠でしょうか……」と、首を垂れた。
「そなたが成徳に帰りたいのならそのように取り計らう、今のまま、長安のこの屋敷にいたいのなら留まれるよう手配するが……どちらが良い」
時が止まったような沈黙が続き、俯き沈む秋蝉が急に顔を上げた。
「殿は、秋蝉がお嫌いなのですか……」
訴える強い目の光が、李徳裕の瞳孔を捉えて離さなかった。
「嫌いではない、愛い姑だと思っている」
「秋蝉は家姑なのに殿の慰み女にもさせて頂けないのですか……悲しゅうございます」
「そなたは憎しみと悲哀で自我を失っている。不憫なのだ」
「秋蝉は殿をお慕いしております。それなのに、なぜ秋蝉を抱いて下さらないのですか」
「秋蝉の身体からは憎しみと無念さが滲み出ている。儂は心を閉ざした女を、なぐさみに抱く趣味はないのだ」
「……悲しゅうございます」
「辛い過去を背負い笑顔をなくしたそなたが、哀れなのだ」
二人の間に沈黙の時が流れ、突然、顔を上げた秋蝉がすがる目で李徳裕を捉えた。
「成徳にも長安にも秋蝉の居る場所はありませぬ。……お連れ下さい、このまま一人長安に残さないで下さい、秋蝉を揚州へ……お願いでございます」
「揚州がどのような所か知っているのか」
「知りませぬ」
「儂が側に居ないのが、そなたには心休まるのではないのか?」
「違います…………」