例えば、
「中学校で不登校だった生徒さんでも、ウチの学校に入ればしっかりと寄り添います。別室の指導にも力を入れています。小学校の算数がわからない子は、そこから始めます」
と言い切る。
中学校が抱える問題を熟知していて、そのニーズに応えようとしているのだ。最近では、通信制の私学も増えているが、不登校の子どもを持つ保護者としては、できれば全日制の高校に通わせたいと思っていることが多い。学級担任も、そういう子にどういう進路指導をすればいいのか迷う。私学は、そうした〝肝〟を心得ているわけだ。
そもそも、公立高校の説明にきた人が、生徒に「さん」づけすることはほとんどない。それだけでも意識の違いがよくわかる。
特別支援教育に関してもそうだ。私学は「何かしらの特性を持っていたとしても、その子に合わせた教育をします」とアピールする。特別支援学級に在籍している子を拒否することはない。
実際、中学時代に極端に学力が低かった子が、曲がりなりにも大学に進学しているという話を聞くと、「ほーっ、あの子がねえ」と感心する。別に大学に行くことだけが高校進学の目的ではないが、少なくとも本人の希望や保護者の願いに丁寧に寄り添っていることは窺える。
そういう話を聞くと、こちらもその学校にプラスのイメージを持つ。そうなれば、学級担任は、個別懇談のときに「こういう学校もありますよ」と紹介することもあるだろう。
特別支援学級の子の進路といえば、忘れられないことがある。特別支援学級に在籍していた子が全日制の公立高校への進学を希望した。そこで私は、知り合いの高校の校長に、
「特別支援学級に在籍している子が受験することは可能か」
と聞いてみた。その校長は
「制度的には受験可能です。でも、本人のためになるかどうかはわかりませんよ」
と言う。私は続けて
「でも、定員割れを起こしたら、当日の点数が悪くても合格できますよね」
と、若干意地悪く聞いてみた。すると、
「確かにできます。しかし、そういう子は授業についていけなくてやめていくと思いますよ」
と答えたのである。
なんということだろう。この辺が私学と大きく違うところである。「一旦引き受けたら、どの子に対しても責任を持ってその可能性を伸ばすように努力します」という意識が希薄なのである。
【前回の記事を読む】公立中学校離れが進んでいる!? あり得ない「まさか」はなぜ起きたのか