「そうよ。明治とはいっても、父が明治三十八年、母が四十三年生まれだから、それこそ明治末期ね」

文子は昔の記憶を辿りながら思い出すかのように、「うちの母方の家系は、代々呉服商人だったの。お店は今の富山駅近くにあって、それは広くて活気に溢れていたわ。幼心に、庭も広くて良く近所の友達と庭でかくれんぼして遊んだ。

真一さんや瑠璃にも話したことがないと思うけど、祖父・高柳敬一郎は養子だったの。母・菜津子が長女で、二番目も三番目も女の子だったから、跡継ぎがほしくて生まれたのが、叔父の高柳学なの。せっかくの跡継ぎだったのに召集され戦地で亡くなり、ご時世ゆえ祖父母ともども泣くに泣けなかったらしい。

母含めて三姉妹とも、当時の国民学校、今の小学校の教員だった。教育一家といえば聞こえがいいけど、結婚するのに都合が良かったんじゃない。そのころは、今みたいに恋愛結婚なんて珍しい時代だから……。

父方の祖父・浅野宗之は、大地主とは言わないまでも手広く土地を貸していたらしい。祖父が母の写真を見て気に入り、母はお見合いし結婚したそうです。母と次女の春子おばさんが嫁いだので、三番目の奈美おばさんが家を継ぐことになった。

それで祖父の高柳敬一郎が地元でお米屋さんをしていた村野善治さんを跡継ぎとして目を付け、養子をとり高柳姓を名乗って貰ったの。ここまで話しだすと、家系図を書いておいたほうが良さそうね」と言っては笑った。

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