この木簡の具注暦断簡の示す暦日を調査したところ、

 3月節が58壬戌

 3月朔が49癸丑から51乙卯までのいずれか

 4月節が27辛卯か28壬辰

 4月朔が19癸未から21乙酉までのいずれか

であることが知られ(干支の直前に付けた数値は、これまで通り甲子0番から始まるそれぞれの干支番号である。以下も同様)、内田正男編『日本暦日原典』によって探すと、元嘉暦の西暦689年の3月と4月の暦日に一致することが判明するために(『日本暦日原典』によれば、元嘉暦で689年の3月節は58壬戌、3月朔は49癸丑、4月節は28壬辰、4月朔は19癸未。対して儀鳳暦によって計算すると、3月節は57辛酉なので不可。3月朔は50甲寅。4月節は28壬辰、4月朔は19癸未。第6節参照)、今日ではこの具注暦断簡は元嘉暦の断簡であろうと推測されている(岡田芳朗氏『月刊しにか』第14巻 第8号2003年 63~69頁。細井浩志氏『日本史を学ぶための〈古代の暦〉入門』〔吉川弘文館 2014年〕p.83~88。但し、後者は上弦の期日と没日の扱いにおいて前者とやや異なるため、3月朔と4月節につき、前者の推論と若干の相違を生じているが、結論には影響しない)。

しかし、上で見た通り、元嘉暦の公用開始は持統4年紀・690年11月以降と考えなければならない。そこで疑問が生じる。石神遺跡出土の具注暦木簡がわずか2か月の暦日につき元嘉暦の689年のそれに一致するからといって、これが元嘉暦の断簡であると断定してよいものであろうか。

石神遺蹟出土具注暦断簡の示す暦日は、実は後漢四分暦☆3の修正版によっても実現できる。後漢四分暦によって計算した24節気を5.5日繰り上げ、月朔を2日繰り上げるという修正を施すと、具注暦の暦日に一致することがわかるのである。

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