「グレゴール! グレゴール!」反対っ側のドアから妹が小声で「グレゴール? 具合悪いん? なんかいる?」と心配そうに言うた。
両方のドアに向かってグレゴールは答えた。「もう、用意、できてる」発音にはめいっぱい注意して一語一語の間をしっかり空けて、声が変に聞こえへんよう努めた。
父親は朝めしの続きに戻ったけど妹は「グレゴール、開けてぇな、頼むわ」とささやいた。ところがグレゴールは開けることなんぞこれっぽっちも考えとらんのみならず、たびたびの旅で身についた、家でも夜は全部のドアを施錠する用心に満足しとるありさま。
差し当たりグレゴールとしては落ち着いて、邪魔されんと起き出して、服を着て、とにもかくにも朝めしにありついて、それから初めて今後をじっくり考えるという具合にしたかった。
ベッドん中でウダウダ考えたところでまともな結論にたどり着く見こみがないことは重々承知やった。ベッドで横になっとっておかしな寝相のせいらしい軽い痛みを感じたものの、起きてみたら気のせいということは今までにもようあった。
今のありさまもそろそろきれいに片がつくんやなかろうかと心待ちにした。声の変わりようもただのきつい風邪の前触れでセールスマンの職業病やと信じてこれっぽっちも疑わなんだ。
毛布をはねのけんのは簡単やった。ちょっと腹をふくらますだけで勝手に落ちた。ただそっから先がやっかいやった。なんせグレゴールの体はアホみたいに幅が広い。両腕両手があれへんことには体の起こしようがないっちゅうのに代わりに無数の脚があるだけで、ひとときもじっとしとらんとバラバラに動くうえに、てんでグレゴールの言うことを聞かん。
一本を曲げよう思うたらまず伸びるていたらく。で、この脚でやっとこさ目的を果たしたらその間に他の脚全部が、さあ解き放たれたと言わんばかりに痛々しいことこの上なしの大騒ぎをやらかす。
「ベッドで無駄にグズグズするんだけはやめんとな」とグレゴールはつぶやいた。
1 ワヤ……めちゃくちゃ、話にならない状態
2 引きずりもって……引きずりながら