この地には半年ほどしか住んでいなかったのですが、フェリーに乗ったこと、大きな溶岩が点在する道路を車で移動したこと、それに、つぼ漬けの起源といわれる漬物、おやつに食べていたさとうきびやボンタンアメ、それからしょう油味の小さな焼き団子のことをよく覚えています。
また、母親が入浴時にかかとをする軽石を道端から拾ってきたような覚えもあります。いくらなんでも、これは記憶違いでしょうか。
引っ越す直前だったと思いますが、幼稚園に一緒に通っていた近所の年上の子が家屋を取り壊した更地に残った土管に体がすっぽりはまり、消防署の人が駆けつけてきて救助をされたことを覚えています。
テレビのニュースに、さっきまで自分もいた近所の原っぱでの救出場面の、おそらく白黒であったろう写真が出ていたことには驚きました。また、妄想ではないと思うのですが、クリスマスイブにサンタクロースがケーキを届けてくれ、母親が受け取る姿を見ました。
55年ほど前なのにそんなサービスがあったのでしょうか。それとも、あれは本物だったのでしょうか。
小学校時代
兵庫県の幼稚園、小学校へ
小学校入学を半年ほどで迎える時期のことだと思いますが、加古川市に引っ越しました。一人っ子であり、環境が変わることへの緊張感は一人で背負っていたので、この頃はダイヤブロックでいろんな物を作ることに集中することで気持ちのバランスを取っていたように思います。
この幼稚園に通ったのは短期間であったためか、あまり記憶に残っていません。竹組であったこと、のぼり棒をよくしたことは覚えています。
入学した小学校は、幼稚園と道を挟んで真向かいにありました。松で有名な神社の近くにありました。明治からある学校のようで、私が通っていた頃にはまだ体育館はなく、それに代わるものは木造の講堂でした。
窓の木枠にガラスがはめ込まれていたその講堂で、雨の日はボール運動をしていました。体育の時間にボールをドリブルする際は、壁に近づきすぎると窓枠からガラスが落ちるので、そのことを先生は生徒にいつも注意していました。