乗船してからかなり経ち、ちょうどお腹が減っていた頃だった。伏見までは、まだしばらくかかりそうで、万条は彼らから餅や味噌汁などを買ってやることにした。
やがて空腹が満たされると、
「これをどうぞ──」と、万条はとっておきの品を差し出した。
「日本ノ、オ酒デスカ?」
ヨンケルの顔がほころんだ。ついさっき、くらわんか船で買った徳利だった。そのあと、船中は小さな宴会となった。
外はまだ明るかったが、ほどなくして万条と安妙寺は、すっかりいい気分となった。二人とも歳は若かったものの、酒の方はとっくに一人前だったのだ。
ヨンケルも顔を紅潮させながら、次々と盃を空けていった。
西洋人にしては小柄で、また愛嬌のある髭面と小太りの体型は、赤鬼と言うより赤狸のようだった。そして一つ目の徳利が空になったときだった。
「ミナサン!」と、ヨンケルが突然その場で立ち上がった。
万条と安妙寺が仰ぎ見ると、ヨンケルは真剣な表情で言った。
「ワタシハ、コノ日本ニ、医学ノ種ヲ、蒔キニ来マシタ」
威勢のいい言葉に、万条たちは大いに喝采を送った。ヨンケルは赤ら顔のまま、続けてドイツ語で語り始めた。
東京では一年前の明治四年九月、ミュルレルとホフマンというドイツ人医学教師が、第一大学区医学校に着任した。ヨンケルは来日直後、彼らと横浜で合流し、東の新都での活躍を見聞きしたという。
代わりに自分は、西の古都である京都で、精一杯努力する、と高らかに宣言したのだ。