そして、要求通りにスピードはないながらも、きわどいボールが低めに決まった、そう思った瞬間だった。英児が鋭くバットを振り抜いて低めのボールをすくい上げると、一直線にボールは外野手の頭上を越えてゆき、聾学校のベランダにある鉢植えをことごとく粉々に砕いてしまった。

軟式野球のボールであったのにもかかわらず。僕は衝撃を受け、しばらくは身動き出来なかったように思う。6年生のエースも呆然としていた。しかし、なぜか聾学校の先生や父兄は誰も驚いてはいなかった。

「こんなことはよくあることなんです。だから外野のネットをもう少し高くしようってお願いしているんですけど、市からなかなか予算がおりなくて」

聾学校の野球部監督は笑いながらうちの学校の監督に試合後に話されていた。そして、3回の表に、7番打者としてバッターボックスに入った僕は、初めて英児の球を打者として見た。

左投手対右打者。理屈から言えば、僕の方が有利なはずであった。しかし、バッターボックスで見た英児のボールはレベルが格段に違っていた。よく、すごい投手のボールはホップするというが、そんなことが物理的に起こりうるはずもない。それなのに、11歳だった僕には英児のボールがうなりをあげて手元で浮き上がっている、そうとしか思えなかった。

時々相手チームのキャッチャーの様子を盗み見たが、サインを出している様子はなかった。とりあえずストライクゾーンにミットを構え、あとはそこに英児が投げ込んでいく、そんな感じだった。

この打席で僕は呆気なく三振をするのだが、唯一この試合で初めて英児のボールをファウルした。英児のボールをバットに当てたのだ。

結局あの日の試合は7回を完全試合に封じ込められたのだが、ファウルしたのは僕しかいなかった。後に同じ中学に進学するとき、英児は聾学校ではなく一般の横浜市立日吉南中学校を選んだ。

【前回の記事を読む】何ら健康に問題がなく生まれてきた赤ん坊は、泣き声を一切発することがなかったのだ