M君:たとえば、どんなことで、チャレンジ精神があるとわかったの?
おじいちゃん:そうだな、いろいろと思い出すことがあるね。
「そんな大学に受かるわけないよ……」と言われたのにもかかわらず難関大学への挑戦を続けたこと、「優秀な研究者ばかりいる会社に入っても大変だよ……」と言われたのにもかかわらず敢えて入社を決断したこと、「そんな仕事はいずれなくなるんじゃないか……」と言われたのにもかかわらずわずかな人数で遮二無二研究開発を続けたこと、「そんな弱小課にいるよりほかの花形の部署に異動願いを出したら……」と言われたのにもかかわらず自分の小さな研究チームを率いていく決断をしたこと、「上司の言うことを黙って聞いておいたほうが得だと思うよ……」と言われたのにもかかわらず自分の研究開発方針を貫いたこと、「そんな開発は不可能だよ。やるだけ無駄だよ……」と言われたのにもかかわらず最後の逆転劇で何とか製品化に成功したことなど、チャレンジ精神を想起させる場面はいくつも思い当たる。
あとで話をするけれど、その片鱗は、小学校時代の工作の時間に現れていたような気がするね。逆に、たくさんの強烈な非共有環境での経験を積み重ねていなければ、おじいちゃんの人生もまったく違った人生になっていただろうね。
入れそうな大学に入って何となく就職し、上司から怒られないように言われたことだけを毎日淡々とこなし、自ら大きな決断をすることもなく、感激も怒りも悲しみも少ない人生を送り、定年退職を迎えたかもしれない。
M君に話したいと思うこともほとんどなかっただろうし、まして本を書こうとも思わなかっただろう。
でもね、一方で、この研究はとても残酷なことも示しているんだ。年齢を重ねていくと、遺伝的な素質の差が大きくなってしまうんだ。
確かに、これまでに、素粒子論に進んでのちに教授と超人的なディレクター、そしてノーベル賞受賞者となった先生方など、どんなに努力、勉強したところで、まったく追いつけそうにない人たちともたくさん出会ってきた。
そのたびに大きな衝撃を受け、自分の才能があまり高くないことを嘆いたことが何度もあった。でも、おじいちゃんは歩みをとめなかった。