「君、清潔を心掛けなくちゃいかん」

父親はそう言って病院中を磨きたてたものだった。その習慣は現在に至っても励行されていた。だから目の前の古ぼけた標本は一層目についた。

「イタズラにしちゃ度が過ぎているなあ」

そう言って彼はトントンと骸骨を突いてみた。すると標本がぴくりと反応したような気がした。心なしかその動きに合わせて微かに骨が鳴ったような気もした。

頭蓋の左側面には誰が書いたものやらマジックインキの×マークがついていた。その色もやや褪せ、渋谷医師は何ということもなく指でグリグリ圧してみた。すると標本はいくらか右へ頭を傾げたように見え、それに合わせて頚骨がギギギと軽く軋んだ。

「ありゃ、酔っ払っているのかな?」

「ソノヨウ‥‥デスネ」

次の瞬間彼は目を丸くした。

「何、何だ、今のは誰だ?」

「私‥‥デス」

「何ぃ、私デスだとぉ?変だぞ、骸骨が‥‥しゃべっている」

渋谷医師はまじまじと標本を見つめた。沈黙が訪れた。彼はゆっくりと頭を捻じ曲げた。そして心持ち首を引くと頭蓋骨の二つの穴蔵と行き当たった。視線が合ってカチリと音がしたような気がした。時計の針がカチコチと鳴り、長いようなそれでいて短い時間が過ぎた。

先に目を逸らしたのは渋谷医師の方だった。頭からスーッと血の気が引き、片隅で何かが明滅した。だが抗しがたい力に捻伏せられたかのように、ゆっくりと視線を骸骨の方へと戻していった。

「君、これは、本当のこと‥‥かね?」

彼はおずおずと問いかけた。

「私としては、その、信じたくは‥‥ないのだが」

その声はまるで哀訴をしているかのような震えを帯びていた。

「オ会イ出来テ‥‥光栄デス」

骸骨の口元がカチャカチャと鳴った。

「キット御理解ヲ戴ケルモノト、信ジテオリマシタ」

骸骨はぺこりと頭を下げ、骨がギシギシと軋んだ。釣られて会釈を返しながらも、渋谷医師はまだ信じかねた様子をしていた。科学者の端くれとしてどうしてこんなことが認められるだろう。だがこっそりと腿を抓ってみるまでもなかった。もうすっかり酔いは醒めていた。

どのような言い訳をこしらえたところで、目の前の光景は事実に相違ない。彼の困惑や当惑の入りこむ余地などなかったのである。

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