第二章 電話の謎
社長を長らく務め、現在は会長として世界的な企業の経営者として日本のみならず世界のビジネス界をも牽引していた。
従来からの音響と映像の事業に留まらず、コンパクト・ディスクやゲーム機の開発に加えて、映画、保険や銀行などの多角化経営に成功した。自社のみならず日本企業連合会の副会長を務めるなど、財界では盤石の地位を築いていた。
大神会長には有名なエピソードがある。経済人や芸術家との交流の中でもとりわけヘルベルト・フォン・カラヤン氏との親交は特別なものがあった。
コンパクト・ディスク(CD)の最大収録時間を決める際、「音楽史上最高の傑作といわれるベートーベンの『交響曲第九番ニ短調作品一二五』が録音できることをカラヤン氏が希望している」と大神会長(当時副社長)が言い切ったことから、欧州のライバルメーカーの提案を抑え、最大録音時間は直径十二㎝のCD盤七十四分に決定した。
クラシックの九十五%はこの七十四分以内に収まる。クラシック界ではカラヤン氏の存在は絶大で、親交の深かった大神会長の主張が欧州の名だたる企業の経営者をも納得させ、CDの録音時間七十四分が世界基準となったとされている。
第三章 突然の呼び出し
一九七〇年代の電気機器メーカーは数百社にもおよび、渉太郎の入社した会社は第二次世界大戦後の優等生といわれるほど高収益で業績のよい会社であった。日本の経済復興を牽引した木田自動車と双璧をなしていた。
当然、大卒の学生からは人気も高かった。学生の入社したい会社ランキングの上位にこの二社は常に入っていた。アメリカ経済が下降傾向になる中、日本の電機・自動車などの製造業が世界を席巻した時代でもあった。
渉太郎は入社当初は法務部に所属したが、企業法務を十分理解するには製品の実務経験が必要との思いから、入社後しばらくしてから音響事業本部に異動希望を出した。歩きながらステレオ再生が聞けるポータブルオーディオプレーヤーが全盛の一九七九年のことである。