2.定年退職後を老後と呼ぶ時代は終わった

人生100年時代の生き方を考えるにあたり、まず定年退職60歳の転機について記してみたい。

私の退職は60歳誕生日の5ヶ月前なので厳密には59歳であった。退職するとこれで学生人生、就業人生が終わったのか、これから何をしようかという漠然とした思いが湧き起こってきた。退職日前日まで仕事に集中していたので60歳以降の活動は何も考えていなかった。ただ一つ自分の価値観に関しては50歳の頃から思索を続けていた。

退職してから、この状態は何かに似ている、過去に一度経験しているような感覚に襲われた。それは20歳前後の学生時代に味わった青春の蹉跌であった。

学生時代はミストがかかり自分を見失い、自分の生き方、自分の仕事観、自分はいったい何者? など様々なことが分からなくなった。キャリアビジョンが分からずそのロードマップも見えず、自分を見失った五里霧中状態、迷った青春の蹉跌であった。その原因としては「無から有は生じない」というそれまでの私の先入観、思い入れ・刷り込みがあった。

その後「無から有は生じる」、無に見える真空状態にも電子・陽電子という素粒子は存在していることが分かったが、その当時は知らなかった。私は「無から有は生じない」という自分の勝手な非合理的信念(イラショナルビリーフ)に囚われていたのだ。非合理的信念の思い入れ、刷り込みに私は責任を押し付け、自分自身は動かなかった。行動不足、活動不足人間であったのだ。

私はこの20 歳前後に遭遇した青春の蹉跌の経験を、60歳前後の大転機に活かしてみたいしリベンジしてみたいと強く思った。

「無から有は生じる」ので、何も取りえのない無の自分でも、それを信じて情報収集、メンター探し、ディベートの活動をしよう、無という言葉を何もない状態と決めつけないで無を未知と考えよう、未知という言葉なら、希望と好奇心が感じられると私は考えた。定年退職時の転機は今までの転機とはまるで違い、人生のあるいは人間歴史上の初めての転機になる。

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