尋一は、太陽の位置を頼りに北に進む。

─太陽がある方向が、南だから、それと反対に進めば北に行ける。越後と言ってもどうやってそんな遠くに行けるんだ。確か、風間谷の北に足柄の山があり、その近くには箱根がある。それから……甲斐を抜け、その北の信濃のさらに北が、越後だった気が。クソッ、地理をもっと勉強しておけば良かった。

尋一は、山に刻まれている獣道を通らず、草木が生い茂る山中を蜘蛛の巣があろうが、枝が密集し前に憚っていようが、ただひたすら北へ一直線に移動した。

甲斐に向かった前衛門と列衛門の部隊(四十人)は、尋一と同じ足柄の山を探索していた。

「鳶加藤は、昨日の午後風間村を出たから、ほぼ一日遅れだ。ただ、杏も連れているから、そう速くは移動できないだろう。まずは、ここ足柄の山を徹底的に探そう」

いつもは、自信たっぷりの前衛門も、尋一にも抜け駆けされて少し焦っていた。

「風間村の留守の者からは、鳶加藤は昨日の午後、馬を使って村を抜け出したと聞いている。はっきり見た者はいないが、厩舎から馬が一頭いなくなっているようだ。たぶん杏も馬に乗せられて、連れ去られたのだろう」

同じ上忍の列衛門も応えながら、前衛門に続く。列衛門は、普段は寡黙だが、危機の時などはよく話すのであった。

四十人の部隊は、足柄の山の間道を中心に探し求めた。だが、尋一は十四歳、鳶加藤は十八歳であり、大人の想定を超える移動の仕方をしていたため、見つからなかった。

尋一は間道を使わず、いたずらに先を急いでいた。大人が考えれば、それは体力を消耗してしまう効率の悪い移動方法であり、絶対に選ばないやり方だった。人間というのは歳を重ねると、少年少女であった時の考え方を忘れてしまうようである。

一方、騒ぎの張本人である鳶加藤は、自分の背中側に杏を馬に乗せて移動していた。行先は、風魔一党の誰もが考えなかった、小田原であった。

昨日の午後、鳶加藤は思い立ち、杏を連れて風間村を出た(以前から風間村を出て優れた武将に仕え、立身出世することが彼の野望であった)。風祭で早川にぶつかり、その川に沿って海の近くまで馬の歩を進めた。そしてその晩、小田原郊外の空き家で二人は一泊した。

杏は、最初は何故私を連れて行くのかと反発していたが、鳶加藤の鬼気迫る迫力に気圧されるうちに、彼の大きな野心にすっかり魅かれてしまったらしい。空き家で一泊した後、急に大人しくなった。翌日、「これから小田原で船に乗り、越後に向かう」と鳶加藤が杏に言った時、杏は何も言わずについて来たのである。

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