アベードとは、ロシア人が午後二時から四時までかけてゆっくりと楽しむ昼食の時間のことだ。だから、ロシア人の営む店は、どこも「クローズド」の札を下げて閉まっていた。

しかし、ユダヤ資本のモデルンホテル、日本資本の百貨店、松浦洋行や横浜正金銀行、その他、ロシア人以外が営む企業や店も数多くある。年頃の女の子には「アベード」など関係ないのだろう。

大笑いをまじえて三人連れで楽し気におしゃべりしながら歩くロシア人娘達、スーツ姿にしかめっ面で急ぎ足のユダヤ人らしき白人男性、店のショーウインドウを興味津々で覗き込んで指差ししながら会話する東洋人のアベック、金髪碧眼(へきがん)なのでドイツ系なのだろうか、商品を詰め込んでいるらしい買い物袋を両手に提げて、重そうにヨタヨタ歩いている白人の中年女性、石畳の往来を行き来する多くの車のエンジン音、タイヤの音とクラクション、そして、ここにも聞こえて来る鐘の音。キタイスカヤは、いつも通りの賑わいを見せていた。

ところで、松浦洋行は、当時、キタイスカヤ一の高層建築であり、最上階の上に作られたドームからは、ハルビン市街全体を見渡すことが出来た。ナツは、ここに上りたかったのだ。

そして、ハル達が、途中、モデルンホテルの前にさしかかろうとした時だ。一ブロック先、松浦洋行やチューリン百貨店のある十字路から、それぞれ別の馬に乗った三人の屈強な男達が姿を見せ、モデルンホテルの正面に近づいて来た。

様々な人種の人々が行き交う、このキタイスカヤにあって、それでも、この三人の姿は、異彩を放っていた。ハル達は、思わず足を止めた。アキオが目を丸くした。

「すごい! 鷹だ」

三人のうち、二人は黒い馬に、その二人の前を行く一人の男は、白い馬に乗っていた。そして、その男は右腕に鷹を乗せていた。そして、白い馬の横には、大型犬が、一匹、付いて来ていた。秋田犬のようだった。

黒い馬に乗っている二人のうちの一人は、西洋人らしく、昔のロシア風の軍服に身を包み、コザック帽を被っていた。もう一人は、東洋人だが、日本人でも中国人でもないようだった。

【前回の記事を読む】男は顔でも肩書でもないのであ~る。ただありのままの私を受け止めてほしいだけ