自由競争の基盤である機会均等

20世紀半ばになると、任意雇用に対する重要な「例外」が加わります。人種や出身国などを理由とする雇用差別が問題にされ始めました。公民権運動の影響でした。発端となったのが反人種差別運動です。

19世紀半ば、米国で奴隷制をめぐって起こった南北戦争は、リンカーン率いる北軍が勝利し、憲法に修正第13条が追加されて、奴隷制度は廃止されました。そこで謳われたのが「非自発的隷属の禁止」です。本人の意志に反して働かされていた黒人たちに、自らの意志で「辞める自由」が与えられました。

「人はどこでもいかなる形でも自由に働くことができる」、「自分の名前で財産を蓄積することができる」、「自分の才能と能力が許す限り、いくらでも出世することができる」、リンカーンが属していた共和党の「自由労働」の概念です。「独立自尊」と「任意雇用」の考え方そのものとわかるでしょう。

1875年には公民権法(連邦法)も制定され、人種や肌の色によらず誰もが公共の場で平等な扱いを受けることが定められましたが、南部では州法で黒人を隔離する政策が始まり、バスや電車、レストランなどで白人と黒人が車両や席を分けられることになりました。

各地でそれに反対する裁判が起こりますが、連邦の最高裁判所は「区別すれども差別せず」と人種隔離政策を追認します。それが見直されるのは、それから60年後の1950年代になってからのことです。

1955年末、アラバマ州モンゴメリーの公営バスで、黒人女性が白人に席を譲るよう運転手に促されて断ると「人種分離法」違反で投獄されました。バス使用のボイコットが始まり、全米へ反人種差別運動が広がっていきます。

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