・歌謡としてのことばの洗練は、古代にあっては、個人ではなく集団によってなされたはずである。

・神が恐怖でありおどろおどろしさの対象であることから、徐々にいわゆる神の「飼い慣らし」が進んだことは、1人称・個人詠の促進材料になったことは疑いない。

・争乱時は雑多な散文が行き交う時期であり歌謡を生まない、一方、交易・交流等が存在しない活性なき単なる平和時も、歌謡という飛躍を生まない。

・記紀万葉の歌謡は、原歌謡発祥からはるか彼方の出来事である。

・「音」「句」の生活用語としてのことばには、2(音)+3(音)の2句を始め、3+5、5+7等々膨大な量の裾野と幾世代にも亘る蓄積の歴史を持っている。3句にしても同様に裾野は長く、簡単には3句の「片歌」には達しない。2連片歌の「旋頭歌」にしても同様である。男女問答・掛け合いといえど、ことは簡単ではないのである。

結論から言えば、集団系・問答系の集団詠から個人詠への道と呪言系・散文系のものが個人詠化する道に大別されると思われるが、この二つの流れに加え、分類不能の系統を交えて、中流域の万葉歌、古今・新古今を経て、はるか多様な個人詠に進む。

・倭(和)語は、強弱のアクセントを持たない等時拍・無音拍を基本としている以上、勝手な私見であるが、1音や偶数音ではなく、発語・表現としては3・5・7の奇数音のリズム感を持たざるを得ないと考える。こうして、倭語は、ことばとしての流れを獲得する。日本の詩歌の5・7調、7・5調のリズム感の基本はここにあったといえる。

・「うた歌謡始源論」なるものは、文学や文化のまな板の上で論じるキレイなものではなく、もっと人間的でもっと泥くさいものである。人間にまつわる、生存・生活の土台から本能まで、すべてを動員しなければならない。しかも、ことばからうたへは、単純な延長上にはない。ある臨界点に達し、散文的水平から韻文的垂直への空間移動があるのである。

・こんな様々な切り口の先に、うた歌謡発祥の糸口が見つかるはずである。

【前回の記事を読む】アジア共通の「プレ歌垣的儀礼」とは?うた歌謡の始まりを探る