第一章 出会い

沢村英児は社会人野球を何度も制覇した大日本生命野球部のエースだった父・沢村広大と、テニスで国体まで進んだ母・沢村京子の間に生まれた三人兄妹の末っ子だった。

5歳年上の兄・渉は運動神経に恵まれており、父である広大の教えもあって、野球の才能の片鱗を早くから見せていたという。その後、渉はリトルリーグで華々しい活躍をして、名門私立高校へ進学し、全国でも知られた内野手になっていく。

その下の英児の姉・花笑は彼より2歳上で、やはり運動センスが抜群だった。京子の薫陶を受けメキメキとテニスの腕を上げ、やがては世界を転戦するプロになっていくことになる。最後に生まれた子である英児は、生まれる前から伝説の大投手、沢村栄治にあやかって「英児」と名付けられることになった。

しかし、彼が生まれたときに、ご両親は衝撃を受けた。何ら健康に問題がなく生まれてきた赤ん坊は、しかしながら泣き声を一切発することがなかったのだ。

その原因は、先天的に耳が一切聞こえないというもので、治療する方法は残念ながら一切存在しなかった。英児は小学生になるとき聾(ろう)学校に進んで、そこで野球を始めた。

父親は最初英児を野球から遠ざけようとしたらしい。伝説のピッチャーの名前を背負わせたことについても、深く後悔していたという。

しかし、昔父がマウンドで勇姿を見せた社会人野球全国大会の録画を穴があくほど見続けていた彼の意思は固かった。絶対に、お父さんのようなピッチャーになるんだ、と。英児は聾学校で生まれ持った運動能力に加えて、すさまじい集中力を発揮した。

学業の成績が著しく優れていたのだ。一番得意なのは英語で、次に国語、さらには算数の試験でも常にクラスで一、二番を争っていたという。

聾学校の野球チームでは、3年生からエースになった。学校で彼のボールを打てる子供はただの一人もおらず、体育教師がその練習相手になった。来る日も来る日も遅くまで練習に励む英児を見かねて、教師はなんとか説得して家に帰らせた。