第1章 渚にて
その朝私はUCLAで会議の予定があり、以前サンタバーバラのエピジェネシス製薬会社で一緒に勤務した良き友人であるケンとその会議に出ることになっていた。
UCLAは家から60マイル離れているが、ロサンジェルスのラッシュアワーにこの距離を運転すればとんでもなく時間がかかることになる。その日の午後遅くには、ケンと私はパトリック・スーンシオンとの会議を予定していた。
彼は後にロサンジェルスタイムズ紙を買収した中国人の億万長者で、彼の所有する会社の一つと仕事の打ち合わせをする目的だった。移植専門の医師だったスーンシオンはバイオテクノロジーの会社を設立し成功して巨額の富を築いた。
私たち3人が話し合えば、話は早いとケンは考えていた。デービットが2階へ向かうときに私は浴室から出てばったり会ったので「どうしたの?」と聞いた。
デービットは卒倒しそうなほど驚いた。夫は私より20歳年上なのでこういうことはよく起こる。でも私たちのようなカップルが多いので、普通のことのようだ。彼は気を取り直してから何が起こったか話してくれた。
「それは変ね」と11月2日に元の雇用者から訴えると脅されたことを思い出して私は言った。
その書面では48時間以内に回答することになっており、慢性疲労症候群を患っている私の友人で弁護士のルイに依頼して対応した。私たちは友人リリーの自宅から期限内の11月4日に回答をファックス送信した。
ネバダプレートの白いピックアップトラックに乗った気味の悪い男に追われた事件の後、疑わしいことに気づくようになった。私たちの船乗り場付きの家は道路を挟んで2列に並んだ家々のつきあたりだった。
家の前には歩道に沿って狭い芝生のスペースがあり、その向こうには長期にわたり空き家になっていた家があった。10月に急にそこに入居があり、新しい住人は私たちの家に向けて明るいライトを照射するかのように設置した。
この近辺の住民はよく家にライトをあてて、港内の水辺に反射するようにするのだが、この人たちのライトの向きは妙だった。私は自然光が好きで、家にはブラインドやカーテンを付けていないので、スポットライトをあてられて生活しているような感じだった。
私の弁護士マイク・ヒューゴは後に開示請求により、この時期私はネバダ、カリフォルニア、それに地元警察の監視下にあったことを確認した。
私はすぐにケンに電話し、事情を伝えて、その日UCLAでのインタビューに出席できない旨を説明した。ケンは直ちに警戒態勢をとった。私の研究のもたらす金銭的影響が分かるのはケンだった。