【前回の記事を読む】震災当日の老人ホーム内。そのとき〝震える手〞を握りしめ、電話をかけ続けた
第1章 入居者と暮らしを創る30のエピソード
すると伊藤さん、おもむろに部屋に戻って、なんとA大学時代の名簿を持ってこられたではないですか。
伊藤さんは私の恩師とご自分との生まれた年を確認、同じ年に生まれたことが分かったことから、同時期にA大学に通っていたのではと目星を付けたのです。
私は名簿を開き、氏名を丁寧に追っていくと、まずその名簿に伊藤さんの名前を見つけました。次に伊藤さんのそのすぐ下に目を向けると、何と「私の恩師の名前」が記載されているではありませんか。
これには、さすがの伊藤さんも絶句。
それからは、何かにつけ私のことを「A大学の同期の教え子だから」とよくしていただきました。
まさに「楔」。
自分の恩師に感謝。
人の縁が自分を助けてくれる。
12日目 「真の家族」になる
ここでご紹介するお話も自分が施設長を行っている中で、非常に思い出深い出来事でした。
当施設の入居者の加藤さん(仮名)は、大阪市内のお生まれで、美味しいお食事を食べることが大好きな女性でした。ある時、この加藤さんの体調が不調となり、病院での検査結果は末期ガンでした。加藤さんにはお嬢様がいらっしゃいましたが、日頃より施設にもこまめに顔を出され、施設運営にも非常に協力的なご家族様でした。
この加藤さんのお嬢様は、そもそも施設でのお看取りを希望されており、施設側としても、その希望に沿うよう、家族とお看取りを行えるように体制を整えました。
そのような時、加藤さんのお嬢様から、ある提案を受けました。その内容は「加藤さんが生活してきた、この施設でお別れの会を開きたい。でき得れば、自分の母と仲良くしていただいた他の入居者の皆さんにお見送りいただきたい」ということでした。
私は、この要望を伺い次のように考えました。幸いなことに、この施設には共用部分が多く、ホールも設置されているので、そこでお別れの会を開催することはできそうであるなと。反面、この老人ホームにおいて、このようなお別れの会を開催することについて、他の入居者はどのようなお考えを持つのであろうかと正直考えました。
なぜ、そのように自分が考えたのかといえば、老人ホームに入居される方々は、基本的にこの施設でお看取りまでお暮らしになる方が多くいらっしゃいます。
そうすると、その加藤さん以外の他の入居者の前でお別れの会を執り行うことは、「死」を強く感じさせるものであり、お別れの会を開催すること自体に反対する意見が出るのではと考えたのです。