【前回の記事を読む】他人の罪とどのように向き合うか?…出会ったのは仏教の教え
序章 我がへんろ旅、発心の記――88(パッパッ)の時間帯で得た喜び
五 般若心経を杖に歩いた88の時間帯
私にとっての八十八カ所へんろの旅、「88の時間帯」は何の生産性もなく、ふと考えると「何してるんだろう?」という時間で、それだからこそまたとない面白い時間です。途中でやめてもいいし、とにかく自由で、無駄な事をできるのが何よりの喜びでした。
弘法大師の道を、心経三昧(ざんまい)でたどる、それは厄の除去を求める心の旅であり、般若心経をよすがに歩行禅で自らの心中を探る日々。心の中にまた心があり、悟りの真の意味、すなわち「自力では悟れない事を悟る」――心の位置を「空」と確認して忘れ、それによって命の存在と本質、心の安定した日常の生き方を確立する、非日常の時間帯です。
そうした観点から、この本は次の様に3つの部分に分けて書きました。
Ⅰ 道――第一章
これは「日常」、心身一体の生活環境で、具体的には①一般的な道、②へんろ旅の道、③心の道(宗教・哲学的)であり、心の道、生命の道を逆にたどり、道の原点に至る事を目指します。
Ⅱ 位置――第二章
これは「日常+非日常」、心と身の関わり方を考える環境、すなわち中庸=0(空)。①日常生活環境に適する心の位置(常識・法律・宗教・道徳等)、②へんろ者としての仏教的出会いの縁の心構え(お接待)、③自己生命の本質的な位置(命の位置・心の位置)であり、変化する現象としての存在の現象的な断面に囚われない「空」の位置です。
Ⅲ 物差し――第四章
これは「非日常」、命と心について集中思考する環境、すなわち原点=0。①周辺環境を理解するための物差し(物理的物差し・心の物差し)、②他者を理解する物差し(意思の疎通・十人十色・個性の尊重・資質+人格)、③生命の物差し(仏の物差し=心経的には0すなわち空・悟り)であり、心に内在する一切を昇華し、記憶している一切を整理整頓清算し、お大師様を環境の主体とした背景によって、共通の物差しとして利用する事です。
以上の他、第六章と第七章については、読者の皆さんがご自身でへんろ思考をされたり、実際にへんろ旅をされる際のご参考にして頂ける内容をまとめてあります。
本書が、へんろ旅に少しでも興味をお持ちの方にとって、身近な杖となるならば、これほど嬉しい事はありません。
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第一章 へんろの旅、初めの一歩―― 出掛ける前に準備する物、知っておく事
一 四国八十八カ所の開創と略史
へんろとは、もともと辺地・辺道・辺路等「辺境な土地・道」を意味する言葉から転じたもので、その様に不自由な場所を巡り、困難な旅をする中で霊場を巡拝。仏様の慈悲にすがり、その教えに深く帰依する旅の事で、かつては各地に様々な巡礼の道がありました。
中でも最も知られているのが、この本で取り上げる四国八十八カ所巡りのへんろ旅で、これは今から約1200年昔に、お大師様、弘法大師と呼ばれる空海が、四国を行脚して開創された霊場をたどる、祈りの旅です。