その日、月子は軽く昼食を食べてマンションの自転車置き場に向かった。晴れ渡った空を仰いで思い直した。いつもは広告紙が重たいので自転車だが、今日は違う。帰りは飲んでいるだろうから、バスに乗ればいい。白鳥さんの家までゆっくり歩いて三十分かからないだろう。きっと今日が一年で一番の散歩日和だ。
人通りの少ない商店街を抜けて、高校の裏手を通り、ミニ開発の初々しい新興住宅地の坂を上っていけば青葉台に至る。商店街を歩いている人はいない。月子一人しか歩いていない静かな通りに昭和歌謡がスピーカーから流れている。
時が止まったかのような場所だ。かつては賑わった当時の面影だけを残して町おこしとか再生とかの禍々しさもなく、縁側でごろ寝をする老人のように、古い家屋が軒を連ねている。
くすんだ緑と青の縞の古びたテント屋根の奥に牛乳瓶のケースが積み上げられている。その隣は、灰色のモルタル壁の小さな事務所。ガレージに停めてある国産のハイブリット車の車体が日差しをはね返している。
建具屋、呉服屋、荒物屋、衣料品店、日常生活に最低限必要と思われるそれらの小さな店にはどこにも店主の姿がないのに、店先の植物はどの鉢もちゃんと手入れをされていて、花は瑞々しさを保っている。
坂の上までやってきた。小さな面積の畑の黒い土にタンポポの黄色が眩しい。春の空が天衣無縫に広がり、無限の空の一番端っこにいる思いが去来し胸の内が膨らんだ。商店街や学校のある旧市街地を見下ろし、背中を伝う汗の一筋さえも空からの授かりものだ。
白鳥さんの家の前まで来て、時計を見るとまだ二時半だった。太陽がまだ少ししか傾いていない。白鳥さんは昼過ぎたらいつでもどうぞといっていたので、そのまま呼び鈴を鳴らした。
家の中は、引越してきたばかりのように物が少なかった。ダイニングテーブルには、黒糖焼酎が封を切られておらず置いてあった。あれから一年、自分と白鳥さんの進展のない間柄を象徴しているかように。